lazy monk 中島氏
05.lazy monk
(レイジーモンク)
http://www.messengerbag.jp/recommend/messengerbag/lazymonk

Interview by messengerbag.jp
Photo by Ryuta Nakajima and Michael Martin
取材日:2008年3月31日
アメリカ在住のコンテンポラリー・アーティスト二人の手がける「lazy monk」。
彼らが生み出す、日本の伝統工芸「刺し子」が施されたメッセンジャーバッグは、数あるバッグの中でもひときわ異彩を放っている。作家、教師、宗教家と様々な顔を持つlazy monk中島氏が、作品に込める想いを語ってくれた。
― メッセンジャーバッグを作り始めたきっかけを教えて下さい
 もともとはバッグを作る気なんてなかったんです。世界中に良いバッグは沢山あったし、わざわざ自分たちが新しいバッグを作る事もないかなって考えていたんです。でも、去年の今ごろ、たまたま、家の娘とMASHマイクの息子の二歳の誕生日が近くなってきたんで、誕生日プレゼントでも作ろうかって、河口と二人で話していたときに、それじゃ、二人に小さなメッセンジャーバッグを作ろうって事になったのが始まりなんです。そのバッグをマイクに送ったら喜んでくれて、メッセンジャーバッグ用の生地の廃材を箱一杯送ってくれたんです。

その廃材を使って知り合いの子供達にバッグを作っては送ってあげていたんです。そうですね、50個ぐらいつくったかな。そんなこんなしているうちに、いわゆるメッセンジャーバッグを作ってみたいって気持ちになったんです。でも、これもみんな作ってあげたい人へのプレゼントっていうのが基本的スタンスだったんです。

― 影響を受けたバッグなどはありますか?
 
 メッセンジャーバッグは昔から好きで色々と持ってました。でも、初めはメッセンジャーバッグっていう感覚よりも肩掛けカバンって感じでした。PATAGONIAの物とか結構使ってました。

本当の意味でのメッセンジャーバッグに出会ったのはRELOADかな。あの完全にカスタムできるっていうのが気に入って、知ってすぐにオーダーして作ってもらいました。あれがメッセンジャーバッグとの最初の出会いだったと思う。
はっきり言ってショックでしたね。素材、作り、コンセプトとかそれまでの物とは全然違うし、今までのはショルダーバッグだったんだと正直思いました。

バッグを作るにあったって影響をうけたのは、間違いなくZO BAGですね。これもたまたまなんですが、BFFの展覧会、現在の「JOY RIDE」の原型になった展覧会、をサンフランシスコでやるって事で、アーティストとして参加したんです。その展覧会でZOにで会ったんです。当時はまだZOが伝説の人だなんて全然知らなかったから、面白い作品を作る人だなーってぐらいにしか思ってなかったんだけど、色々話しをしていくうちに、なんかカバンを作るらしいって事を聞いて、ふてぶてしくも、自分にも一個売ってくれないかって頼んだんです、そしたら、今は売るバッグは一個もないって言われたんです。でも、次の日に突然、バッグを二個作ってきてくれて、好きな方を選べって言われて、めちゃくちゃ嬉しかったですね。バッグが手に入ったからってのももちろんあるんですけど、忙しい彼が、わざわざ夜中に自分の為に作ってくれたっていう気持ちが一番うれしかったですね。

それ以来,ずっとそのバッグを使ってきたんです。そのバッグを担いで走っているとなんだかZOと一緒に走っている様な気がして、、、密教の中に同行二人っていう考え方があるんですけど、空海がいつも一緒だっていう考えかたで、四国遍路なんかもそうなんですよ。ちょっと大げさかもしれないけど、バッグを作る人と自転車に乗る人の関係もそうでありたいなと感じさせてくれたのがZOのバッグなんですよ。もちろん、いまでもこれがlazy monkの一番大切にしているコンセプトなんです。

― lazy monkという名前の由来は?
 今、密教うんぬんって話しをしたんですけど,実は自分は真言密教の坊さんなんです。河口は在家で育った人間ですから、彼女のイメージする坊さんと自分の生活態度があまりにもかけ離れていたみたいで、「lazy」は「怠け者、ぐーたら者」という意味なんですがそれがぴったりくる気がしたそうです。簡単に言えば生臭坊主って事ですね。

― なぜ、メッセンジャーバッグに日本の伝統工芸である「刺し子」を取り入れようと思ったのでしょうか?
 
 自分は人生のほとんどを海外で過ごしてきました。中近東、ヨーロッパ、アメリカに住んでいた訳なんですけど、異文化の中で生活をしていると日本の良い所が沢山見えてくるんですね。小津安二郎や溝口健二の映画だとか、横山大観の絵画だとか、仏教哲学なんかもそうです。色々比較対象するものがあって、初めて良さが見えてくるんですよ。日本の伝統工芸もその一つなんです。ほんとうに素晴らしい物を日本人は作ってきたなと思います。

刺し子は、自分の知っている限り、家の女性達はみんなやっていたんです。それを見ながらいつも刺し子ってすげーなって思っていたんです。そんな環境だったんで、バッグを作る事になった時に刺し子を入れようって自然に思ったんです。刺し子ってスゴく貧しかった農民や漁師の奥さん達が、自然の中で危険にさらされながら働く人の為に、生地に刺繍していったわけじゃないですか。それはもちろん生地の強度、保温効果みたいなファンクショナルな面もあるけれど、それと同時に精神的な面のサポートっていうか祈りみたいな物もあったと思うんですよ。第二次大戦中に息子の無事を祈って千人針みたいなのと同じような。こんな事を考えると刺し子とメッセンジャーバッグ、そしてlazy monkのコンセプトと一致するところが多かったんです。メッセンジャーの美しさって、農家や漁師さんとかの持っている環境と経験によって磨かれて来た,現代人の失いつつある動物的美しさだと思うんです。これにメタフィジカルなところで融合できる物ってそんなにないと思うんですよ。

― なぜ手縫いに拘るのでしょうか?
 手縫いでないと刺し子とは言えないんです。時間もかかるし、指は痛いし、経済的にもバカな事かもしれない。でも、そこに意味があると思うんです。大量生産と無駄な消費の渦の中にだけは、作家としても、教師としても、宗教家としても絶対に入りたくなかったんです。それとは全く反対な物を自分たちの作る物で表現、提示したかったんです。一針一針丁寧に刺すという事はバッグを担いで自転車に乗ってくれる人への思いをバッグに託すことなんです。おばあちゃんの作ってくれたおはぎの味は、コンビニのおはぎでは絶対にリプレイスできないと思います。それは、どっちがうまいとかじゃなくて、気持ちの問題だと思うのです。
― プロダクトの一番のポイント、注目してほしいところはどこでしょうか?
 バッグ自体はごくごくシンプルです。ポイントとか見てほしいとかは特に考えて作っていないんですけど、とにかく担いで走ってもらいたいですね。そして、ぶっ壊れるまで使って欲しいです。
― 日本とアメリカの自転車カルチャーの違いを感じるところはありますか?
 最近になって日本の自転車文化とか自転車のイメージみたいな事を良く聞く様になったと思う。それを聞くたびにそれって何?と疑問に思うんです。日本の自転車文化で思いつく事は競輪という競技/ギャンブルを取り巻く選手、ギャンブラー、ビルダー、学校なんかひとまとめにした文化とママチャリ文化だと思うんですよ。それと、強いて言えば世界の自転車パーツのシェア90%以上を誇るSHIMANOですよね。でもSHIMANOは文化というより、会社ですね。競輪もかなり特殊な世界だし、ギャンブルが絡んでいる事から世間一般とは一線をひいている様にも思える。ママチャリは自宅から最寄り駅までの足としてのファンクションは満たしているものの『文化』とも違う様にも思えるんです。という事は、「日本の自転車文化」とか『日本の自転車のイメージ』って事自体かなり新しい概念であって、しかも、その実体はまだ不完全であいまいな状態にあると思うんです。
 

アメリカも文化的環境は違っていても、日本と同じ様な事が言えると思う。100年以上ある自転車の歴史を受け継いで来たヨーロッパの自転車文化みたいな物はアメリカにはないと思います。しかし、最近になってメッセンジャーの持つ独自の世界観が一つのアメリカのサブカルチャーとして世界に発信されている事も確かです。歴史的観点から見ると、アメリカの文化が世界に影響を持つ様になってたったの60年です。その時間的コンテクストの中でみればメッセンジャーの世界や、スケボーの世界を文化の一要素と見る事も可能かと思うんですが、これを4000年以上脈々と続いて来た日本(沖縄とアイヌは除きます)に移植して、文化と呼んでしまうには無理がある様な気がするんです。

ちょっと偉そうな事を言ってしまったんですけど、文化とか、そうじゃないとか考える事も大切かもしれないけど、それよりも、もっと安全に自転車に乗れる環境と町づくりをしていく方が重要なんじゃないかと思うんです。それは、ピスト、ロード、ママチャリ、マウンテンバイク、BMX,三輪車、自転車を愛するすべての人が一緒に取り組んでいくものだと思うんです。そして、その理由が環境問題であれ、健康であれ、交通手段であれ、新しいトリックを習得する事であれ、なんでも良いと思うんです。もし、近い将来、そんな環境が日本にできていたら、それが日本の自転車文化になるんじゃないかな。

― 現在はアメリカ北部に位置するミネソタ州に住んでいらっしゃいますが、どういった環境なのでしょうか?
 
 ミネソタ州には大小様々の湖が1万個以上ありアメリカで唯一手つかずの自然がのこっている所です。家の庭にはリスやウサギ、スカンクなどがやってきたり、鹿や白頭ワシやオオジカなんかもその辺にいます。ただ冬が長く寒さが大変厳しい所です。先日も?40度まで気温が下がり外出禁止令が出ていたくらいです。そのようなわけで冬場はあまり自転車に乗る人は見かけませんが雪が溶けると同時にぞろぞろと出てくるんです。

5大湖の一つであるスペリオル湖沿いを自転車で走るのは最高です。ミネアポリスやセントポールのダウンタウンにはメッセンジャーもいますけど、残念ながら私たちの住むダルースにはメッセンジャーはいないですね。人口9万人の小さな街ではメッセンジャーは必要ないようです。

― バッグ作り以外にもアーティストなど多方面で活躍されていますが、今後の活動予定などはありますか?
とりあえず、物を作り続けていくことですかね。

今日はありがとうございました。HAPPY RIDING!

pagetop

close up -インタビュー記事一覧へ戻る-

― メッセンジャーバッグを作り始めたきっかけを教えて下さい
 もともとはバッグを作る気なんてなかったんです。世界中に良いバッグは沢山あったし、わざわざ自分たちが新しいバッグを作る事もないかなって考えていたんです。でも、去年の今ごろ、たまたま、家の娘とMASHマイクの息子の二歳の誕生日が近くなってきたんで、誕生日プレゼントでも作ろうかって、河口と二人で話していたときに、それじゃ、二人に小さなメッセンジャーバッグを作ろうって事になったのが始まりなんです。そのバッグをマイクに送ったら喜んでくれて、メッセンジャーバッグ用の生地の廃材を箱一杯送ってくれたんです。

その廃材を使って知り合いの子供達にバッグを作っては送ってあげていたんです。そうですね、50個ぐらいつくったかな。そんなこんなしているうちに、いわゆるメッセンジャーバッグを作ってみたいって気持ちになったんです。でも、これもみんな作ってあげたい人へのプレゼントっていうのが基本的スタンスだったんです。

― 影響を受けたバッグなどはありますか?
 
 メッセンジャーバッグは昔から好きで色々と持ってました。でも、初めはメッセンジャーバッグっていう感覚よりも肩掛けカバンって感じでした。PATAGONIAの物とか結構使ってました。

本当の意味でのメッセンジャーバッグに出会ったのはRELOADかな。あの完全にカスタムできるっていうのが気に入って、知ってすぐにオーダーして作ってもらいました。あれがメッセンジャーバッグとの最初の出会いだったと思う。
はっきり言ってショックでしたね。素材、作り、コンセプトとかそれまでの物とは全然違うし、今までのはショルダーバッグだったんだと正直思いました。

バッグを作るにあったって影響をうけたのは、間違いなくZO BAGですね。これもたまたまなんですが、BFFの展覧会、現在の「JOY RIDE」の原型になった展覧会、をサンフランシスコでやるって事で、アーティストとして参加したんです。その展覧会でZOにで会ったんです。当時はまだZOが伝説の人だなんて全然知らなかったから、面白い作品を作る人だなーってぐらいにしか思ってなかったんだけど、色々話しをしていくうちに、なんかカバンを作るらしいって事を聞いて、ふてぶてしくも、自分にも一個売ってくれないかって頼んだんです、そしたら、今は売るバッグは一個もないって言われたんです。でも、次の日に突然、バッグを二個作ってきてくれて、好きな方を選べって言われて、めちゃくちゃ嬉しかったですね。バッグが手に入ったからってのももちろんあるんですけど、忙しい彼が、わざわざ夜中に自分の為に作ってくれたっていう気持ちが一番うれしかったですね。

それ以来,ずっとそのバッグを使ってきたんです。そのバッグを担いで走っているとなんだかZOと一緒に走っている様な気がして、、、密教の中に同行二人っていう考え方があるんですけど、空海がいつも一緒だっていう考えかたで、四国遍路なんかもそうなんですよ。ちょっと大げさかもしれないけど、バッグを作る人と自転車に乗る人の関係もそうでありたいなと感じさせてくれたのがZOのバッグなんですよ。もちろん、いまでもこれがlazy monkの一番大切にしているコンセプトなんです。

― lazy monkという名前の由来は?
 今、密教うんぬんって話しをしたんですけど,実は自分は真言密教の坊さんなんです。河口は在家で育った人間ですから、彼女のイメージする坊さんと自分の生活態度があまりにもかけ離れていたみたいで、「lazy」は「怠け者、ぐーたら者」という意味なんですがそれがぴったりくる気がしたそうです。簡単に言えば生臭坊主って事ですね。

― なぜ、メッセンジャーバッグに日本の伝統工芸である「刺し子」を取り入れようと思ったのでしょうか?
 
 自分は人生のほとんどを海外で過ごしてきました。中近東、ヨーロッパ、アメリカに住んでいた訳なんですけど、異文化の中で生活をしていると日本の良い所が沢山見えてくるんですね。小津安二郎や溝口健二の映画だとか、横山大観の絵画だとか、仏教哲学なんかもそうです。色々比較対象するものがあって、初めて良さが見えてくるんですよ。日本の伝統工芸もその一つなんです。ほんとうに素晴らしい物を日本人は作ってきたなと思います。

刺し子は、自分の知っている限り、家の女性達はみんなやっていたんです。それを見ながらいつも刺し子ってすげーなって思っていたんです。そんな環境だったんで、バッグを作る事になった時に刺し子を入れようって自然に思ったんです。刺し子ってスゴく貧しかった農民や漁師の奥さん達が、自然の中で危険にさらされながら働く人の為に、生地に刺繍していったわけじゃないですか。それはもちろん生地の強度、保温効果みたいなファンクショナルな面もあるけれど、それと同時に精神的な面のサポートっていうか祈りみたいな物もあったと思うんですよ。第二次大戦中に息子の無事を祈って千人針みたいなのと同じような。こんな事を考えると刺し子とメッセンジャーバッグ、そしてlazy monkのコンセプトと一致するところが多かったんです。メッセンジャーの美しさって、農家や漁師さんとかの持っている環境と経験によって磨かれて来た,現代人の失いつつある動物的美しさだと思うんです。これにメタフィジカルなところで融合できる物ってそんなにないと思うんですよ。

― なぜ手縫いに拘るのでしょうか?
 手縫いでないと刺し子とは言えないんです。時間もかかるし、指は痛いし、経済的にもバカな事かもしれない。でも、そこに意味があると思うんです。大量生産と無駄な消費の渦の中にだけは、作家としても、教師としても、宗教家としても絶対に入りたくなかったんです。それとは全く反対な物を自分たちの作る物で表現、提示したかったんです。一針一針丁寧に刺すという事はバッグを担いで自転車に乗ってくれる人への思いをバッグに託すことなんです。おばあちゃんの作ってくれたおはぎの味は、コンビニのおはぎでは絶対にリプレイスできないと思います。それは、どっちがうまいとかじゃなくて、気持ちの問題だと思うのです。
― プロダクトの一番のポイント、注目してほしいところはどこでしょうか?
 バッグ自体はごくごくシンプルです。ポイントとか見てほしいとかは特に考えて作っていないんですけど、とにかく担いで走ってもらいたいですね。そして、ぶっ壊れるまで使って欲しいです。
― 日本とアメリカの自転車カルチャーの違いを感じるところはありますか?
 最近になって日本の自転車文化とか自転車のイメージみたいな事を良く聞く様になったと思う。それを聞くたびにそれって何?と疑問に思うんです。日本の自転車文化で思いつく事は競輪という競技/ギャンブルを取り巻く選手、ギャンブラー、ビルダー、学校なんかひとまとめにした文化とママチャリ文化だと思うんですよ。それと、強いて言えば世界の自転車パーツのシェア90%以上を誇るSHIMANOですよね。でもSHIMANOは文化というより、会社ですね。競輪もかなり特殊な世界だし、ギャンブルが絡んでいる事から世間一般とは一線をひいている様にも思える。ママチャリは自宅から最寄り駅までの足としてのファンクションは満たしているものの『文化』とも違う様にも思えるんです。という事は、「日本の自転車文化」とか『日本の自転車のイメージ』って事自体かなり新しい概念であって、しかも、その実体はまだ不完全であいまいな状態にあると思うんです。
 

アメリカも文化的環境は違っていても、日本と同じ様な事が言えると思う。100年以上ある自転車の歴史を受け継いで来たヨーロッパの自転車文化みたいな物はアメリカにはないと思います。しかし、最近になってメッセンジャーの持つ独自の世界観が一つのアメリカのサブカルチャーとして世界に発信されている事も確かです。歴史的観点から見ると、アメリカの文化が世界に影響を持つ様になってたったの60年です。その時間的コンテクストの中でみればメッセンジャーの世界や、スケボーの世界を文化の一要素と見る事も可能かと思うんですが、これを4000年以上脈々と続いて来た日本(沖縄とアイヌは除きます)に移植して、文化と呼んでしまうには無理がある様な気がするんです。

ちょっと偉そうな事を言ってしまったんですけど、文化とか、そうじゃないとか考える事も大切かもしれないけど、それよりも、もっと安全に自転車に乗れる環境と町づくりをしていく方が重要なんじゃないかと思うんです。それは、ピスト、ロード、ママチャリ、マウンテンバイク、BMX,三輪車、自転車を愛するすべての人が一緒に取り組んでいくものだと思うんです。そして、その理由が環境問題であれ、健康であれ、交通手段であれ、新しいトリックを習得する事であれ、なんでも良いと思うんです。もし、近い将来、そんな環境が日本にできていたら、それが日本の自転車文化になるんじゃないかな。

― 現在はアメリカ北部に位置するミネソタ州に住んでいらっしゃいますが、どういった環境なのでしょうか?
 
 ミネソタ州には大小様々の湖が1万個以上ありアメリカで唯一手つかずの自然がのこっている所です。家の庭にはリスやウサギ、スカンクなどがやってきたり、鹿や白頭ワシやオオジカなんかもその辺にいます。ただ冬が長く寒さが大変厳しい所です。先日も?40度まで気温が下がり外出禁止令が出ていたくらいです。そのようなわけで冬場はあまり自転車に乗る人は見かけませんが雪が溶けると同時にぞろぞろと出てくるんです。

5大湖の一つであるスペリオル湖沿いを自転車で走るのは最高です。ミネアポリスやセントポールのダウンタウンにはメッセンジャーもいますけど、残念ながら私たちの住むダルースにはメッセンジャーはいないですね。人口9万人の小さな街ではメッセンジャーは必要ないようです。

― バッグ作り以外にもアーティストなど多方面で活躍されていますが、今後の活動予定などはありますか?
とりあえず、物を作り続けていくことですかね。

今日はありがとうございました。HAPPY RIDING!

pagetop

close up -インタビュー記事一覧へ戻る-