Cyclex代表 木村氏
01.

有限会社サイクレックス
http://www.cyclex.jp/

Interview by messengerbag.jp
Photo by Jun from messengerbag.jp
取材日:2007年12月13日 (雨)
日本におけるフリーメッセンジャーを配したスタイルのメッセンジャー会社の草分け的存在である「Cyclex」。
代表の木村氏は本場のメッセンジャーカルチャーにじかに触れた後、東京でメッセンジャー会社「Cyclex」を設立。並行してオリジナルのメッセンジャーバッグブランド「RESISTANT」を率いている。その木村氏に話しをうかがった。
― Cyclexを立ち上げるに至った経緯を聞かせてください
「この仕事をずっと続けていく」と決心したと同時にいつかは独立するという気持ちがあった。
しかし、90年代後半はまだメッセンジャーの認知度が低かったし、まずは大手バイク便の中で試行錯誤しつつ、この仕事がもっとメジャーな存在になるまでは大手に所属してメッセンジャーの人数を増やす事が先決だと思っていた。

2000年に*CMWC(サイクル・メッセンジャー・ワールド・チャンピオンシップス)へ参加した際に横浜や京都のメッセンジャーも参加していて、その時初めて交流が持てた事で「東京で独立しなくてどうする?」という気持ちが強くなった。CMWC参戦中はブルックリンに住む現地のメッセンジャーの家にステイさせてもらっていたので、そのライフスタイルをリアルに感じる事が出来た。「これが本当のメッセンジャーという生き方なんだ」と強烈なカルチャーショックと共に「自分もこんな生き方がしてみたい」と強く思うようになった。帰国してからは、もうバイク便のやり方で仕事をするなんて馬鹿らしく思えちゃって「独立するなら今しかない!」と決心した。

*Cycle Messenger World Championshipsの略。年に一度世界の都市で行われるメッセンジャーの世界大会。

― 会社開業日は注文0件、半年で危機を迎えたとありますが、どのように乗り越えたのでしょうか?また、どのような人材を集めたのか、何が支えとなったのか教えてください
辞めてすぐに開業の準備をしましたが、会社を興すために事務所を借りようというのに「個人では契約できませんので法人化して下さい。」と不動産屋に訳わかんない事を言われたり、資本金を銀行に預けても登記が完了するまでお金が下ろせないとか知らなかったから、準備の為にお金を使いたくても使えない。事務所が決まらないから電話番号も決められなくてチラシが作れなかったり、ほんと下らない事でつまずいていた。
開業しても告知が全然出来てないのだから電話が鳴る訳が無い。チラシが出来てから半年間はもう飛び込み営業ばっかりやってましたよ。 100件飛び込んで1件使ってくれればいいくらいの確率だったのでホントにしんどかった。そんな毎日が続けば辞めちゃう人も出てくるのは当然で、半年もする頃には開業メンバーの半分は離脱してしまった。

開業準備の段階から続いているメッセンジャーはSINOだけ。実はSINOにサイクレックスの立ち上げ話をした直後に彼は単独転倒して鎖骨を骨折してしまったんです。最初は戦力外だと思っていたけど、骨折しているにも関わらず飛び込み営業をがんばってくれたので、それが件数増加に大きく影響した。彼は自分が営業した会社から頂いたオーダーは骨折していても意地でデリバリーしてましたから、そういう姿勢を見て「俺は絶対にあきらめてはいけない!」と強く思った。彼なしに今日のCyclexは有り得ないと思ってます。

― Cyclexのユーザはどこに魅力を感じていると思いますか?
当たり前の事ですが「正確に早く届ける事」が出来ている点だと思います。
― 会社としてのこだわり、理念、譲れない点、また他社との最大の違いは何でしょうか?
 
自転車だけでやって行くという点。だけどそれは現時点で長所として働いているとは思えない。しかし数年後には長所になると思います。それからオンタイムギャランティーという保障制度はどこの会社もやってません。これは約束の時間に届けられなければ料金は頂かないというサービスですが、時間に対しての精度が高くなければ出来ません。「すみません。遅れちゃいました・・・。」ではプロとは言えませんし、遅れたのに普通に料金を頂くのはおかしいと思います。

早さという点ではW/Rushという必殺技みたいなサービスが有ります。「これこそバイシクルメッセンジャーだ!」という全身全霊で届けるサービスですが、これは間違いなく東京最速です。「Cyclexは速い!」と言われるのはこれがあるからでしょう。それ以外でサービスにおいて気を付けている事は、お客様をお呼びする時は「会社名」ではなく担当者様の「苗字」で呼べる様にする事。そしてお客様からはメッセンジャーネームで呼んでもらえる事。これは出来そうでなかなか出来る事ではありません。他社との最大の違いは、お客様との信頼関係だと思います。

― 海外のメッセンジャー(会社)と日本のメッセンジャー(会社)との違い、またはそれを取り巻く環境の違いはどこにあるのでしょうか?
まずは立地の違いがそのままそれぞれの性質に現れています。東京は他の国の都市と比べても商用地域が格段に広く、皇居を中心に放射状に広がる構造は複雑で道を覚えるには相当時間がかかります。町名と番地から住所を割り出す方法も独特かつ複雑です。首都高も張り巡らされているので、東京全体でみればバイク便の方がメリットは多いです。誰が考えてもバイク便というスタイルを取るでしょう。自転車のメリットなど最中心部のみしかありません。 それが現在のバイク便と自転車便と二本立てのサービスを産む事へとつながったのです。
 

海外といってもアメリカの環境しか知らないけど・・・・マンハッタン、フィラデルフィア、サンフランシスコぐらい。アメリカはテロ以降随分と状況が変わったと聞きます。セキュリティ強化の為に直接手渡しで届ける事が難しくなった。セキュリティセンターからセキュリティセンターへ届けるだけではチップも貰えないし、張り合いも無い。そのせいかメッセンジャーの人口は急速に減少しているようです。残念ながら東京もだんだんとそうなって来ています。もうこれ以上東京のメッセンジャーが増える事はないと思いますが、バイク便が自転車便を兼業するケースが増えてきているので、そういった意味ではまだ増えるのかもしれません。

NYCは冬になれば-10℃は普通だし、東京は環境的には最も快適で賃金も高いので一番恵まれていると思います。サンフランシスコの気候は東京よりも穏やかだけど仕事が少なすぎるようです。もし日本の公用語が英語だったら海外のメッセンジャーが流れ込んでくるでしょう。実際、東京で働きたいという話は頻繁にあります。
日本のメッセンジャーはよく「うちの会社はさぁ」と言うけど、NYCのメッセンジャー達には「うちの会社」という概念は無い。独立した個人という契約関係が明確になっているからか、会社に依存するという意識が全くと言っていいほど無い。所属する会社に依存するのではなく、自分のメッセンジャーとしてのスキルを評価してくれる会社に移籍するのは当たり前という感じ。プロの運び屋として自分の意志で生きているっていう顔して走っているので頼もしいね。
その辺に関して東京はまだまだ幼稚なのかも知れません。でも、「うちの会社」と思えるのは素晴らしい事だと思う。出来れば愚痴る時ではなく、誇る時にそれを言えれば最高です。 いずれにせよ、「自由の国アメリカ」と「和を尊ぶ日本」というお国柄がそのまま出ているのではないでしょうか?

― これから日本のメッセンジャーカルチャーはどう変化していく(いくべき)でしょうか?
 
今までは海外の真似だったけど、今は部分的に世界レベルに追いついたと思う。追いついたのは仕事以外の部分で、肝心な仕事の部分、特に利用者の意識はまだまだ変わらない。理想は利用者側がバイク便とメッセンジャーを別の物と認識して使い分けていただける様になる事です。

封筒を1km先に届けるのにバイクで届ける必要があるのでしょうか?速いから、安いから自転車便ではなく、環境への配慮という点でメッセンジャーを使うという選択をしていただければありがたいです。それには我々の様な自転車のみでやっているメッセンジャーサービスの会社ががんばらなければなりません。バイク便の資本下でやっていたのでは意味がないのです。なぜ自転車で届けるのか?その意味をもう一度考え、理解した上でメッセンジャーをやるべきです。それらが整理されてからが本当の部分での日本のメッセンジャーカルチャーの創世記になるでしょう。単なる労働者意識のまま自転車で配達する人が何百人増えようがカルチャーにはなりません。

― Cyclexまたは木村さんにとって、リアルメッセンジャーとは何でしょうか?
生の人間。個が確立している人。
― Cyclexの今後の目標、目指すところを教えてください
でっかい倉庫を改装してメッセンジャーのオフィス、サイクルショップ、カフェ、バッグの工房を一つにまとめた空間をつくりたい。そこから色々と発信して行きたいですね。

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― Cyclexを立ち上げるに至った経緯を聞かせてください
「この仕事をずっと続けていく」と決心したと同時にいつかは独立するという気持ちがあった。
しかし、90年代後半はまだメッセンジャーの認知度が低かったし、まずは大手バイク便の中で試行錯誤しつつ、この仕事がもっとメジャーな存在になるまでは大手に所属してメッセンジャーの人数を増やす事が先決だと思っていた。

2000年に*CMWC(サイクル・メッセンジャー・ワールド・チャンピオンシップス)へ参加した際に横浜や京都のメッセンジャーも参加していて、その時初めて交流が持てた事で「東京で独立しなくてどうする?」という気持ちが強くなった。CMWC参戦中はブルックリンに住む現地のメッセンジャーの家にステイさせてもらっていたので、そのライフスタイルをリアルに感じる事が出来た。「これが本当のメッセンジャーという生き方なんだ」と強烈なカルチャーショックと共に「自分もこんな生き方がしてみたい」と強く思うようになった。帰国してからは、もうバイク便のやり方で仕事をするなんて馬鹿らしく思えちゃって「独立するなら今しかない!」と決心した。

*Cycle Messenger World Championshipsの略。年に一度世界の都市で行われるメッセンジャーの世界大会。

― 会社開業日は注文0件、半年で危機を迎えたとありますが、どのように乗り越えたのでしょうか?また、どのような人材を集めたのか、何が支えとなったのか教えてください
辞めてすぐに開業の準備をしましたが、会社を興すために事務所を借りようというのに「個人では契約できませんので法人化して下さい。」と不動産屋に訳わかんない事を言われたり、資本金を銀行に預けても登記が完了するまでお金が下ろせないとか知らなかったから、準備の為にお金を使いたくても使えない。事務所が決まらないから電話番号も決められなくてチラシが作れなかったり、ほんと下らない事でつまずいていた。
開業しても告知が全然出来てないのだから電話が鳴る訳が無い。チラシが出来てから半年間はもう飛び込み営業ばっかりやってましたよ。 100件飛び込んで1件使ってくれればいいくらいの確率だったのでホントにしんどかった。そんな毎日が続けば辞めちゃう人も出てくるのは当然で、半年もする頃には開業メンバーの半分は離脱してしまった。

開業準備の段階から続いているメッセンジャーはSINOだけ。実はSINOにサイクレックスの立ち上げ話をした直後に彼は単独転倒して鎖骨を骨折してしまったんです。最初は戦力外だと思っていたけど、骨折しているにも関わらず飛び込み営業をがんばってくれたので、それが件数増加に大きく影響した。彼は自分が営業した会社から頂いたオーダーは骨折していても意地でデリバリーしてましたから、そういう姿勢を見て「俺は絶対にあきらめてはいけない!」と強く思った。彼なしに今日のCyclexは有り得ないと思ってます。

― Cyclexのユーザはどこに魅力を感じていると思いますか?
当たり前の事ですが「正確に早く届ける事」が出来ている点だと思います。
― 会社としてのこだわり、理念、譲れない点、また他社との最大の違いは何でしょうか?
 
自転車だけでやって行くという点。だけどそれは現時点で長所として働いているとは思えない。しかし数年後には長所になると思います。それからオンタイムギャランティーという保障制度はどこの会社もやってません。これは約束の時間に届けられなければ料金は頂かないというサービスですが、時間に対しての精度が高くなければ出来ません。「すみません。遅れちゃいました・・・。」ではプロとは言えませんし、遅れたのに普通に料金を頂くのはおかしいと思います。

早さという点ではW/Rushという必殺技みたいなサービスが有ります。「これこそバイシクルメッセンジャーだ!」という全身全霊で届けるサービスですが、これは間違いなく東京最速です。「Cyclexは速い!」と言われるのはこれがあるからでしょう。それ以外でサービスにおいて気を付けている事は、お客様をお呼びする時は「会社名」ではなく担当者様の「苗字」で呼べる様にする事。そしてお客様からはメッセンジャーネームで呼んでもらえる事。これは出来そうでなかなか出来る事ではありません。他社との最大の違いは、お客様との信頼関係だと思います。

― 海外のメッセンジャー(会社)と日本のメッセンジャー(会社)との違い、またはそれを取り巻く環境の違いはどこにあるのでしょうか?
まずは立地の違いがそのままそれぞれの性質に現れています。東京は他の国の都市と比べても商用地域が格段に広く、皇居を中心に放射状に広がる構造は複雑で道を覚えるには相当時間がかかります。町名と番地から住所を割り出す方法も独特かつ複雑です。首都高も張り巡らされているので、東京全体でみればバイク便の方がメリットは多いです。誰が考えてもバイク便というスタイルを取るでしょう。自転車のメリットなど最中心部のみしかありません。 それが現在のバイク便と自転車便と二本立てのサービスを産む事へとつながったのです。
 

海外といってもアメリカの環境しか知らないけど・・・・マンハッタン、フィラデルフィア、サンフランシスコぐらい。アメリカはテロ以降随分と状況が変わったと聞きます。セキュリティ強化の為に直接手渡しで届ける事が難しくなった。セキュリティセンターからセキュリティセンターへ届けるだけではチップも貰えないし、張り合いも無い。そのせいかメッセンジャーの人口は急速に減少しているようです。残念ながら東京もだんだんとそうなって来ています。もうこれ以上東京のメッセンジャーが増える事はないと思いますが、バイク便が自転車便を兼業するケースが増えてきているので、そういった意味ではまだ増えるのかもしれません。

NYCは冬になれば-10℃は普通だし、東京は環境的には最も快適で賃金も高いので一番恵まれていると思います。サンフランシスコの気候は東京よりも穏やかだけど仕事が少なすぎるようです。もし日本の公用語が英語だったら海外のメッセンジャーが流れ込んでくるでしょう。実際、東京で働きたいという話は頻繁にあります。
日本のメッセンジャーはよく「うちの会社はさぁ」と言うけど、NYCのメッセンジャー達には「うちの会社」という概念は無い。独立した個人という契約関係が明確になっているからか、会社に依存するという意識が全くと言っていいほど無い。所属する会社に依存するのではなく、自分のメッセンジャーとしてのスキルを評価してくれる会社に移籍するのは当たり前という感じ。プロの運び屋として自分の意志で生きているっていう顔して走っているので頼もしいね。
その辺に関して東京はまだまだ幼稚なのかも知れません。でも、「うちの会社」と思えるのは素晴らしい事だと思う。出来れば愚痴る時ではなく、誇る時にそれを言えれば最高です。 いずれにせよ、「自由の国アメリカ」と「和を尊ぶ日本」というお国柄がそのまま出ているのではないでしょうか?

― これから日本のメッセンジャーカルチャーはどう変化していく(いくべき)でしょうか?
 
今までは海外の真似だったけど、今は部分的に世界レベルに追いついたと思う。追いついたのは仕事以外の部分で、肝心な仕事の部分、特に利用者の意識はまだまだ変わらない。理想は利用者側がバイク便とメッセンジャーを別の物と認識して使い分けていただける様になる事です。

封筒を1km先に届けるのにバイクで届ける必要があるのでしょうか?速いから、安いから自転車便ではなく、環境への配慮という点でメッセンジャーを使うという選択をしていただければありがたいです。それには我々の様な自転車のみでやっているメッセンジャーサービスの会社ががんばらなければなりません。バイク便の資本下でやっていたのでは意味がないのです。なぜ自転車で届けるのか?その意味をもう一度考え、理解した上でメッセンジャーをやるべきです。それらが整理されてからが本当の部分での日本のメッセンジャーカルチャーの創世記になるでしょう。単なる労働者意識のまま自転車で配達する人が何百人増えようがカルチャーにはなりません。

― Cyclexまたは木村さんにとって、リアルメッセンジャーとは何でしょうか?
生の人間。個が確立している人。
― Cyclexの今後の目標、目指すところを教えてください
でっかい倉庫を改装してメッセンジャーのオフィス、サイクルショップ、カフェ、バッグの工房を一つにまとめた空間をつくりたい。そこから色々と発信して行きたいですね。

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