今日、私達がよく知っているいわゆるメッセンジャーバッグの一番最初の商品は、実はメッセンジャーのために作られたものではありません。
1950年代にニューヨーク・グロ−ブキャンバス(Globe Canvas)社のフランク・デ・マルティーニ(Frank De Martini)氏により、電話架線工事夫のために生産されたショルダーバッグが由来と言われています。架線工事夫は電柱を登る間、容易に工具を入れて移動できるバッグを必要とし、デ・マルティーニのバッグはその希望に完璧にこたえられるものでした。
1970年代になると、同じニューヨークに複数あったバイシクル・メッセンジャー会社が、各々の会社が特定できるように、グロ−ブキャンバス社から異なった色のショルダーバッグを購入しメッセンジャーに持たせたことが、メッセンジャーバッグの初めの第一歩となりました。
1980年を過ぎる頃、ニューヨークから全米にメッセンジャーという職業が拡大していきました
メッセンジャーの担い手には、車社会の拡大に伴う交通渋滞や公害など、文明の過度な発達に対して反目的なポリシーを有する若者が多かった。彼らは混雑した道路上の車の列を縫うように走り抜けるメッセンジャーの姿を、現代社会に対するある種の共通のアンチテーゼの表現と感じていました。
「早く、確実にメールや荷物を届けたい」という送り手の需要は、メッセンジャー・サービスの供給とバランスを保ちながら、メッセンジャー達の生活を支えるビジネスとして成長していき、現代社会に貢献する存在になりました。
メッセンジャービジネスの拡大にともない、メッセンジャーを生業にする都市生活者も増加していきました。
ほどなく環境に対する考え方、ライフスタイル、ファッション、アートなどの共通したテーマのもとで、メッセンジャー同士が結びつくようになります。彼らはコミュニティを形成し、アートや音楽などのイベントを開催するなどの精力的な活動を通じ独特のサブカルチャーを産み出していきました。
また、メッセンジャーという職業に対する彼らのストイックな姿勢・考え方はますます研鑽されていきます。
毎日のように酷使する自転車本体に対する厳しい要求と並んで、彼らの職業に欠かせないメッセンジャーバッグについても、実用性重視の観点から発せられる彼らの意見はバッグの構造的な発展に寄与していきます。またアートやスポーツの要素を多分に取り入れたデザインが施されるようになり、見た目にもとてもセンスのよいバッグにビルドアップされていきました。
彼らはこのように進化したメッセンジャーバッグを、所有した瞬間から愛着を持ち、風雨に晒されボロボロになっても使い続けました。このように酷使されたメッセンジャーバッグは、各々のメッセンジャーの生き様を象徴するアイテムと言っても言い過ぎではないでしょう。
1990年代前半には、メッセンジャーのライフスタイルに共感した一般の若者達にメッセンジャーバッグは急激に支持されるようになり、メッセンジャーバッグを製作するメーカーが数多く設立されました。しかしメッセンジャーバッグの本来の機能を持たないバッグをメッセンジャーバッグと標榜してマーケットに流通させるメーカーも見受けられました。
こうした状況でも、メッセンジャーはファッション性だけのメッセンジャーバッグに嫌悪感を抱くことはなく、むしろメッセンジャーが産み出したサブカルチャーが一般社会へ浸透していくことを歓迎する声のほうが大きかったようです。しかし、彼らが実際に使用するメッセンジャーバッグはあくまで実用性が重視されていて、ファッション性だけのバッグとは一線を画していることは言うまでもありません。メッセンジャー会社の中には、実用性のみを追求したオリジナルのメッセンジャーバッグを製造して、従業員にのみ支給しているところもあります。
2000年代後半になると、ファッション性のみのメッセンジャーバッグを製作するメーカーはますます増加し、高級ブランドであるルイ・ヴィトンやコーチがメッセンジャーバッグと称した商品を発売するなど、メッセンジャーバッグがビジネス上で売るがためだけシンボリック・ワードとなり一人歩きしている感は拭えないといえるでしょう。
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