左から、初代コーディネーターの柳川氏と、現コーディネーターの一柳氏
06.Bicycle Film Festival
バイシクル・フィルム・フェスティバル
http://bicyclefilmfestival.com/jp/

Interview by messengerbag.jp
Photo by Jun from messengerbag.jp
取材日:2008年7月27日
今年の開催があと一週間と迫った、NY発の自転車映画祭「Bicycle Film Festival」、通称「BFF」。
開催を目前に控え、緊張と期待感を膨らます、初代コーディネーターの柳川健一氏と、現コーディネーターの一柳聡氏のお二人に話しを伺った。 東京での開催に至った経緯や今年の注目作品、アジアへと拡大する今後の展望などを語ってくれた。
― まず、BICYCLE FILM FESTIVALについて教えてください
柳川氏(以下ヤナケン): 2001年に初めてニューヨークで開催されて今年で8回目を迎える、自転車にまつわる映像作品を集めたユニークなアートイベントです。その名のとおり自転車映像の上映がメインですが、「映像、音楽、アート、パフォーマンスを通してあらゆる切り口から自転車文化を楽しむ」のが目的です。東京では今年が4回目になりますね。
走って競い合うとかそういうイベントは多いですが、そうじゃなくて別の切り口で映像で自転車を楽しみましょうと。それをもうちょっと包括的にできたら、映像を見るだけじゃなくて、まあゆくゆくはそうできたらいいなと思います。
― BFFを日本で開催するに至った経緯を教えて下さい
ヤナケン : 僕がBFFを見たのが2002年。ネットサーフィンしていて見つけたんですよ。まだ2箇所だけしかやってなかったと思うんですけど、自転車で、映像で、というのが自分にはすごくグッと入ったんですよ、はまったというか。映像を作りたいというのが最初にありましたね。作ってこれに応募したらおもしろいなと思って。

フィルムフェスティバルの存在を知り、2003年のBFFはどんな感じなのかというのを連絡したら、*1)主催者のBrendt(ブレント)から、すぐに「日本の作品が欲しい!」という連絡がきました。 「いや、まだ考えている段階だから」といって、結果的には何か作ろうということになって、その何かというのが「*2)MSGR-Holic」になったんです。その半年前に企画書を立てて、BFFの中心で全部の映像関係をやってくれている友人に相談にいったのが2003年の秋か夏だったかな。2004年の5月に作品は撮ったけど、2004年のBFFには結局間に合わなかった。2005年の2月に「MSGR-Holic」が発売になって、2005年にはBFFに出すということでニューヨークに送った。 ちょうどその時に、Brendtが秋に東京でやりたいと言い出して、、、それが始まりかな。

*1)Brendt Barbur・・・BFFの創設者及び総括ディレクター。ニューヨークで自転車に乗っていた時にバスに轢かれ、その経験をポジティブに活かしたいとの理由でBFFを始める。
*2)2004年に京都で開催されたメッセンジャーイベントを綴った日本初のメッセンジャードキュメンタリービデオ。

― 日本でBFFを開催するにあたり、苦労話などありますか?
ヤナケン : ありましたよ。

一柳氏(以下サトシ) : メチャメチャあったでしょ!

ヤナケン : 苦労っていうかわからないですけど、僕はこのイベントを刺激的に思いましたが、一般的には自転車文化とかカルチャーなんてものは無かったし、乗り手も今程多くない。 メッセンジャーだってアンダーグラウンドといいますか... だけど一般の人を巻き込まないと広がっていかないじゃないですか。
今だったら乗り手が増えましたが、最初は確証があって始めたわけではなく、楽しそうだからやってみる。
どうやったら、BFF見に来てくれるんだろうとか、自転車に乗る楽しさだったり、世間が自転車にシフトしていく為にはどうしていくべきか、みたいなのは考えていた時はありましたよ。

― 2005年、東京での初めてのBFFは規模的な感じはどうでしたか?
ヤナケン : 六本木のスーパーデラックスでやりました。全部で4プログラム、2日間で2回づつやったんです。 おかげさまで満席でした。 一応600人動員という数字の記録になってます。かなり面白かったですよ。
その時たまたまそこに居合わせたこの600人が「何だこれは!!」という衝撃を感じたのはあったんじゃないですかね。 いいイベントになったなと思いますね。
― 2回目の2006年は当初の規模よりも拡大してやられていかがでしたか?
 
サトシ : 1回目に比べると、お客さんすごく増えましたよね。

ヤナケン : 確か2000人だったかな、600人から一気に増えたには増えたんですよ。

サトシ : 2回目にして、完全にスタッフはイベントに呑み込まれた感じがありましたよね。

ヤナケン : Brendtのイベントなんですけど、Brendtが日本という国だったり文化をどう理解するか、そこのギャップが、埋まり切れていない中でBFFを運営していたので、、。

サトシ : お互いのコミュニケーションがあまりうまくとれていない状態で、イベント自体がとんでもないデカさになってきちゃって、収拾できないような感じはありましたね。

ヤナケン : そう、規模がドーンと増えたんですけど中がスカスカみたいな状態で、それでもう一度、2007年でグッと規模を縮小し、立て直したんですよ。

― 2007年からコーディネーターがサトシさんに移られて、まずは2007年のBFF振り返っていかがでしたか?
サトシ : 規模的には、2006年の時とそんなに僕の中では変わってはいないかな。ただスタッフの動きは断然に良くなりましたね。もちろん完璧ではないと思うんですけど、動きとしてはすごくスムーズになったかな。

― 皆さんボランティアで集まってBFFを運営していると思いますが、どうモチベーションをもってやられているのでしょう?
サトシ : 有り難いことに皆さんすごい高くモチベーションを持ってくれてるというか、ボランティアなのに拘束丸々2日間とられて大丈夫なのかって...こっちが心配になってしまうくらい、皆本当に良く動いてましたよね。

ヤナケン : すでにそういう雰囲気というのができ上がってて、会場に行くとそこでは一丸となってというのが普通になっている、ところがあると思うんですよ。やはり皆自転車が好きで、自転車の楽しさを広めたいと言う気持ちで繋がっているのかもしれません。

― 実際に今年ニューヨークに視察に行かれて、BFFの本場を見てこられていかがでしたか?
 
サトシ : 噂では聞いていたんですけど、やっぱり規模はでかいですよね。

ある1つの道を塞いでイベントをやったりだとか、上映自体も多くの人が観に来てましたよ。
すごく面白いですけど、ただ僕らもニューヨークから送られてきた映像をこれまでずっと見てきたじゃないですか。正直、新鮮さは感じなかったですね。

今までBFF東京って、結局ニューヨークから送られてきた映像をそのまま流して、ニューヨークでの自転車文化プラス海外の自転車文化というのはこうなんですよというのを東京で伝える役目ではいたんですけど、多分今年から、それを受けて日本、BFF東京としては世界にむけてどんなことができるかとか、東京らしさっていうものはどんな物なのかっていうのを打ち出していったほうが、イベントとして面白いと思ってます。

― BFF東京で何を発信していきたいですか?
サトシ : 僕は、今東京で起きていることをリアルに世界へ伝えたいです。海外の人たちはみんな東京で何が起きているかというのがすごく気になっていますしね。もちろん逆に海外で何が流行っているか、何が起きているかというのをBFF東京を通して、東京にいる人たち、日本にいる人たちに知ってもらいたいというのはあります。
来年はイタリアに行きたいです。BFFミラノです。
― 日本人に対してはBFFを通してどんな風に伝えて行きたいですか?
ヤナケン : 今までは自転車屋さんと自転車雑誌、それとイベントなどにBFFの情報を持って行ったりしていましたが、ちょっと縦割りなところが感じられたんですよね。 それは同じ自転車でも種目ごとロードとかBMXとか、街乗りという項目がそんなに無かったんで、それをどうにかいい具合にブレンドできないかなというのがあって。 そうすると1つの動きができると思ってたんですけど、それをBFFが果たせればいいなと。切り口は映像。 その映像を見る場所に、自転車のいろんな作品があり、色んな人が集まり、それをきっかけに、同じ自転車でも色々あるんだとか、自転車を通して色んな世界が見えるとか、色んな表現があるということを知ってもらった上で、何か次の動きにつながればいいなということですね。
僕個人的には、やっていくうちに社会的に影響を持つような動きになっていったらいいなと思います。
― 前回のBFFだとBMXのパフォーマンスが入ってたり、マウンテンバイクの映像があったり、 そこにアートや音楽がからんでくる。自転車が切り口ではあるがジャンルを超えた結びつきについてそこらへんでは何か狙いとかというのはありますか?
昨年のオープニングパーティーにて行われた、BMXチーム「430」によるBMXパフォーマンス。写真の内野氏は今年、日本人としては初のBMX世界王者に!
サトシ : 自転車というのをテーマにしてますが、例えばオートバイに普段乗ってる人が観に来ても全く問題ないです。切り口として自転車という言葉があるだけで、精神はつながっているというか、何か考えていることは、みんな一緒なんだというところで、このイベントが成り立てばいいかなと。

結局自転車乗っていないと、そのイベントには参加しちゃいけないみたいな雰囲気が出るのが嫌ですね。バイシクルフィルムフェティバルというイベントが、そもそもこういう考えでやっているイベントですという事が、様々な人に知られていくことが大事だと僕は思います。

ヤナケン : 自転車が身近だからいいんですよ。 子供からおじいさんまで、誰でも乗れるじゃないですか。男女も問わないし、家にもあるじゃないですか。
例えばスキーだったら行かないとできないとか、サーフィンだと海に行かないとできないとか、自転車はもうすぐ横にあるんで誰もが乗っていて、そういうところが浸透しやすいし広がりも持っている。 イベントのアイコンがたまたま自転車で、自分は自転車好き、あなたも自転車好き、で自分ができるのはこういう事、あなたができるのはこういう事というのをできる範囲で持ち寄ったらすごいことができる。だからビジネスとしてのニュアンスは薄いし、そういうネットワークの広がりのキーワードとして自転車がいいんですよ。

サトシ : ビジネスで考えちゃうと、スポンサーさんの事でも一業種一社とか色々あるじゃないですか、しがらみとか。そういうのをこのイベントでは無くしたいなというのはありますね。考え方一緒なんだし、みんな一緒に仲良くこのイベントはやろうよ、みたいな話でいけたらいいかなと思ってます。

― BFFの毎回にトレンドというのはありますか?
ヤナケン : 2005年は、アーバン・バイシクル・カルチャーだってBrendtが言ってたんですよ。それは2005年に初めて東京でやったから。で毎年あるのかなと思って、2006年は?って聞いたら引き続きアーバン・バイシクル・カルチャーだって言ってました(笑)。去年は特になかったんですよね。

ただ言えるのは、2005年で*3)MASHが初めて出て、06年に完成版も出て、07年はそれを受けて*4)FAST FRIDAYとか色々あったので、ストリートでの動きが全体的にあったと思いますが、今年もそういったストリート系のものもありますが、新しいかといったらもうそんなに新しさを感じないです。 逆にロードバイクの、結構いい感じでロードの世界を見せている作品というのが多いんですよ。あとダウンヒルの作品で、目が見えないんだけどダウンヒルやっているおじさんが出てくるのあるんですけど、映像がいい感じで映し出されて、ダウンヒルも楽しそうだなあって。
改めて広がりが、今年の作品は偏りが無く色々見れるラインナップになっているんじゃないかと思うんですけどね。

*3)SFのピストバイクチーム。2005年のBFFで初めてトレーラー版が公開され、世界に衝撃を与える。その後世界のピストブームの火付け役となる。
*4)MASHのクルーでもあるダスティン・クラインが中心となり発案された、毎月第一金曜日(FIRST FRIDAY)に開催されるピストバイク・イベントをまとめた作品。2007年のBFF東京にて世界初公開され話題となる。

― 基本的にBFFで上映される作品自体は、投稿してもらうのですか?
ヤナケン : そうです。Brendtが色んな手を使って探すんですよ。「何か無い?」「何か無い?」って。 当然公募もするんですけど、ただweb上で募集やっても集まるかっていったら、多分そんなに集まらないと思うんですが、それでも何百本か集まるのは彼の努力ですね。毎年毎年、まあよくこれだけ集めるなと感心しますね。それは彼のすごいところじゃないですかね。

世界中で色んな動きがあって作品になって、それがBFFにいち早く流れるんですよ。BFFを発表の場として世界初公開にしようっていうクリエイターさんもすごく増えてます。で、そこでうければ作品にするとか、DVDにするとかの動きがあります、トレンドとして見ることもできると思いますよ。世界のクリエイターさんがどういう意識でいるのかとか。

― 日本では特にテーマを持ってやっているという訳でもないんですか?
サトシ : 僕の中で今年のテーマはあります。
― それは?
サトシ : 僕は自転車メチャメチャ好きですけど、このイベントを自転車好きな人たちだけで終わらせたくないなと思ってます。

国内での音楽の動きだったり、アートの動きだったりっていうのをBFF東京で少しでも見せていきたいと思います。
それと今年は日本の作品を結構出します。 つまり日本ではこういう事が起きてますよ、という事を伝えたいなと。来年は日本ではなく、アジアレベルで考えているんですよ。アジアではこういう音楽、こういう自転車、こういうアートがありますってことを伝えたいですね。来年メッセンジャーの世界大会が東京であるので、そこともうまく結びつきながらやっていきたいなと いうのがあります。

― 今後の展開の話にもつながってしまったんですけど、日本から海外に配信していきたいという事ですよね、日本の文化をつたえていきたいと?
ヤナケン : アジアと言うと、やっぱ東京をみんな見るんですよね、アジアの中心という目線なんで、そこの影響力というのを再確認した上で、じゃあどういったものを、みたいに考えてると思うんですけど。

サトシ : 日本と同様に、台湾だったり香港だったり、アジアのストリート自転車カルチャーていうのが近年かなり盛り上がってきているので、それを伝えたいです。

ヤナケン : 僕も以前考えたんですよ、カルチャーって何だろうって。
アジアって東南アジアや色んな所で自転車乗っているじゃないですか。自転車に乗ってる人口は多いんですけど、カルチャーと呼べるか?というと呼べないってなったときに、要素として何が足りないのか?というと、こっちにあってまだあっちにないものとか、何年か前の日本に無くて、ここ数年で出てきたもの、西洋にあって日本に無かった物は何か?っいうのを考えると、「単なる移動手段としての自転車」を超えて自転車から派生する音楽とか生活や衣食住につながるような物が有るか無いか?っていうことなのかな?みたいな(笑)。

 

サトシ : BFFみたいなイベントをやる力は各国にあると思います。今度はアジアでガンガンやっていかないかみたいな話をしていきたいと思います。どの国でも、僕より若い世代の人たちには面白い事考えてる人はたくさんいますよ。台湾、香港、韓国などなど、どんどんつながっていきたいですね。

ヤナケン : 何か東京のオリジナルを作りたいですよね。スタイルとか。
別に意識はしなくても、自然発生でいいんですけど、日本人は取り込むのはうまいじゃないですか、ああこんなのできるんだなと。それはそれで吸収するのはいいんだけど、それで終わってしまっては、ただまねをして楽しんで終わるということなんで、そうじゃなくてこっちの発信で向こうには無くこっちには有るオリジナルというものを伝えていきたいですね。

サトシ : まあ、今年はBMXで世界チャンピオンが日本人から出たり、メッセンジャーSINOも世界チャンピオンになったり、世界に誇れるチャンピオンが日本にいる訳ですよ。そんな日本を、世界中の人たちは間違いなく気になってるんですよ。 ?僕も、各都市のBFFの中でも、一番魅力のあるイベントしにしたいですね。BFF東京のプロデューサーとして、なんか面白い事やってるなというのを見せたい。

― 今後楽しみですね
サトシ : 今年は、これまでのBFF東京とはちょっと違うかもしれないですよ。今までBFF東京でやらなかったことをやります。
― 将来世界制覇ということで
サトシ : まぁBFF乗っ取ろうかなと(笑)。嘘です。
Brendtはほんとにすごいですよ。こんなイベント思いつくなんて。ありがとうBrendtってかんじです。
― 今年のみどころは?
ヤナケン : 今年は色んなジャンルが楽しめます!去年は作品も無かったっていうのもあってか、ちょっとロードの人が少なかったんですよ。今年はいろんなジャンルの映像作品を上映するので、最初に僕が望んでいたミックスしたような形になると思います。ロードバイクのすごく面白い作品がありますよ。見入っちゃう作品。

サトシ : 僕もあれはおすすめですね。是非観てもらいたいです。

― 最後になりますが、何かメッセージなどはありますか?
サトシ : BFF東京のメインスポンサーであるPUMAさんには本当に感謝です。1回目、2回目、3回目、4回目とこのイベントに毎回毎回つきあってくれて、今後も一緒に色々面白いことに取り組んでいきたいです。

ヤナケン : 以前からPUMAはニューヨークをはじめ、ワールドスポンサーっていうことでやってるんですよ。日本のPUMAだけじゃなく。 PUMAジャパンの僕らの担当者さんも、頻繁に本部のニューヨークと連絡とりあってPUMAの向こうの会社の考え方、コンセンサス に沿って接してくれてるんで、会社の考え方がすごく分かるんです。それでPUMAさんからの一緒にやって行こう的な感じがすごく伝わるから、そういう意味での感謝なんですよ。だからこっちも恩返しはしたい。お金出すからどうこうというのじゃなくて。

― 最後にお二人にとっての自転車の魅力など話してもらえますか?
ヤナケン : まず乗って楽しむものなんで。見てというのは1つの切り口なだけで、乗って楽しんでほしいと。

サトシ : 自転車は、結局自分で漕がなきゃ進めない、何か人生といっしょかなと。やらないと進まない。やって進むと何かいいことあるかも。例えば、自転車でツーリングしました、頑張って遠いところまでいってみました。すると見たことのないすごくいい景色が見える。そういうのが何か人生と一緒かなぁなんて。あと、いろんな自転車に乗って欲しいですね。色んな道を通って欲しいというか。自転車はまさに僕の人生ですね。

ヤナケン : いいねー。

― ありがとうございました!!

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― まず、BICYCLE FILM FESTIVALについて教えてください
柳川氏(以下ヤナケン): 2001年に初めてニューヨークで開催されて今年で8回目を迎える、自転車にまつわる映像作品を集めたユニークなアートイベントです。その名のとおり自転車映像の上映がメインですが、「映像、音楽、アート、パフォーマンスを通してあらゆる切り口から自転車文化を楽しむ」のが目的です。東京では今年が4回目になりますね。
走って競い合うとかそういうイベントは多いですが、そうじゃなくて別の切り口で映像で自転車を楽しみましょうと。それをもうちょっと包括的にできたら、映像を見るだけじゃなくて、まあゆくゆくはそうできたらいいなと思います。
― BFFを日本で開催するに至った経緯を教えて下さい
ヤナケン : 僕がBFFを見たのが2002年。ネットサーフィンしていて見つけたんですよ。まだ2箇所だけしかやってなかったと思うんですけど、自転車で、映像で、というのが自分にはすごくグッと入ったんですよ、はまったというか。映像を作りたいというのが最初にありましたね。作ってこれに応募したらおもしろいなと思って。

フィルムフェスティバルの存在を知り、2003年のBFFはどんな感じなのかというのを連絡したら、*1)主催者のBrendt(ブレント)から、すぐに「日本の作品が欲しい!」という連絡がきました。 「いや、まだ考えている段階だから」といって、結果的には何か作ろうということになって、その何かというのが「*2)MSGR-Holic」になったんです。その半年前に企画書を立てて、BFFの中心で全部の映像関係をやってくれている友人に相談にいったのが2003年の秋か夏だったかな。2004年の5月に作品は撮ったけど、2004年のBFFには結局間に合わなかった。2005年の2月に「MSGR-Holic」が発売になって、2005年にはBFFに出すということでニューヨークに送った。 ちょうどその時に、Brendtが秋に東京でやりたいと言い出して、、、それが始まりかな。

*1)Brendt Barbur・・・BFFの創設者及び総括ディレクター。ニューヨークで自転車に乗っていた時にバスに轢かれ、その経験をポジティブに活かしたいとの理由でBFFを始める。
*2)2004年に京都で開催されたメッセンジャーイベントを綴った日本初のメッセンジャードキュメンタリービデオ。

― 日本でBFFを開催するにあたり、苦労話などありますか?
ヤナケン : ありましたよ。

一柳氏(以下サトシ) : メチャメチャあったでしょ!

ヤナケン : 苦労っていうかわからないですけど、僕はこのイベントを刺激的に思いましたが、一般的には自転車文化とかカルチャーなんてものは無かったし、乗り手も今程多くない。 メッセンジャーだってアンダーグラウンドといいますか... だけど一般の人を巻き込まないと広がっていかないじゃないですか。
今だったら乗り手が増えましたが、最初は確証があって始めたわけではなく、楽しそうだからやってみる。
どうやったら、BFF見に来てくれるんだろうとか、自転車に乗る楽しさだったり、世間が自転車にシフトしていく為にはどうしていくべきか、みたいなのは考えていた時はありましたよ。

― 2005年、東京での初めてのBFFは規模的な感じはどうでしたか?
ヤナケン : 六本木のスーパーデラックスでやりました。全部で4プログラム、2日間で2回づつやったんです。 おかげさまで満席でした。 一応600人動員という数字の記録になってます。かなり面白かったですよ。
その時たまたまそこに居合わせたこの600人が「何だこれは!!」という衝撃を感じたのはあったんじゃないですかね。 いいイベントになったなと思いますね。
― 2回目の2006年は当初の規模よりも拡大してやられていかがでしたか?
 
サトシ : 1回目に比べると、お客さんすごく増えましたよね。

ヤナケン : 確か2000人だったかな、600人から一気に増えたには増えたんですよ。

サトシ : 2回目にして、完全にスタッフはイベントに呑み込まれた感じがありましたよね。

ヤナケン : Brendtのイベントなんですけど、Brendtが日本という国だったり文化をどう理解するか、そこのギャップが、埋まり切れていない中でBFFを運営していたので、、。

サトシ : お互いのコミュニケーションがあまりうまくとれていない状態で、イベント自体がとんでもないデカさになってきちゃって、収拾できないような感じはありましたね。

ヤナケン : そう、規模がドーンと増えたんですけど中がスカスカみたいな状態で、それでもう一度、2007年でグッと規模を縮小し、立て直したんですよ。

― 2007年からコーディネーターがサトシさんに移られて、まずは2007年のBFF振り返っていかがでしたか?
サトシ : 規模的には、2006年の時とそんなに僕の中では変わってはいないかな。ただスタッフの動きは断然に良くなりましたね。もちろん完璧ではないと思うんですけど、動きとしてはすごくスムーズになったかな。

― 皆さんボランティアで集まってBFFを運営していると思いますが、どうモチベーションをもってやられているのでしょう?
サトシ : 有り難いことに皆さんすごい高くモチベーションを持ってくれてるというか、ボランティアなのに拘束丸々2日間とられて大丈夫なのかって...こっちが心配になってしまうくらい、皆本当に良く動いてましたよね。

ヤナケン : すでにそういう雰囲気というのができ上がってて、会場に行くとそこでは一丸となってというのが普通になっている、ところがあると思うんですよ。やはり皆自転車が好きで、自転車の楽しさを広めたいと言う気持ちで繋がっているのかもしれません。

― 実際に今年ニューヨークに視察に行かれて、BFFの本場を見てこられていかがでしたか?
 
サトシ : 噂では聞いていたんですけど、やっぱり規模はでかいですよね。

ある1つの道を塞いでイベントをやったりだとか、上映自体も多くの人が観に来てましたよ。
すごく面白いですけど、ただ僕らもニューヨークから送られてきた映像をこれまでずっと見てきたじゃないですか。正直、新鮮さは感じなかったですね。

今までBFF東京って、結局ニューヨークから送られてきた映像をそのまま流して、ニューヨークでの自転車文化プラス海外の自転車文化というのはこうなんですよというのを東京で伝える役目ではいたんですけど、多分今年から、それを受けて日本、BFF東京としては世界にむけてどんなことができるかとか、東京らしさっていうものはどんな物なのかっていうのを打ち出していったほうが、イベントとして面白いと思ってます。

― BFF東京で何を発信していきたいですか?
サトシ : 僕は、今東京で起きていることをリアルに世界へ伝えたいです。海外の人たちはみんな東京で何が起きているかというのがすごく気になっていますしね。もちろん逆に海外で何が流行っているか、何が起きているかというのをBFF東京を通して、東京にいる人たち、日本にいる人たちに知ってもらいたいというのはあります。
来年はイタリアに行きたいです。BFFミラノです。
― 日本人に対してはBFFを通してどんな風に伝えて行きたいですか?
ヤナケン : 今までは自転車屋さんと自転車雑誌、それとイベントなどにBFFの情報を持って行ったりしていましたが、ちょっと縦割りなところが感じられたんですよね。 それは同じ自転車でも種目ごとロードとかBMXとか、街乗りという項目がそんなに無かったんで、それをどうにかいい具合にブレンドできないかなというのがあって。 そうすると1つの動きができると思ってたんですけど、それをBFFが果たせればいいなと。切り口は映像。 その映像を見る場所に、自転車のいろんな作品があり、色んな人が集まり、それをきっかけに、同じ自転車でも色々あるんだとか、自転車を通して色んな世界が見えるとか、色んな表現があるということを知ってもらった上で、何か次の動きにつながればいいなということですね。
僕個人的には、やっていくうちに社会的に影響を持つような動きになっていったらいいなと思います。
― 前回のBFFだとBMXのパフォーマンスが入ってたり、マウンテンバイクの映像があったり、 そこにアートや音楽がからんでくる。自転車が切り口ではあるがジャンルを超えた結びつきについてそこらへんでは何か狙いとかというのはありますか?
昨年のオープニングパーティーにて行われた、BMXチーム「430」によるBMXパフォーマンス。写真の内野氏は今年、日本人としては初のBMX世界王者に!
サトシ : 自転車というのをテーマにしてますが、例えばオートバイに普段乗ってる人が観に来ても全く問題ないです。切り口として自転車という言葉があるだけで、精神はつながっているというか、何か考えていることは、みんな一緒なんだというところで、このイベントが成り立てばいいかなと。

結局自転車乗っていないと、そのイベントには参加しちゃいけないみたいな雰囲気が出るのが嫌ですね。バイシクルフィルムフェティバルというイベントが、そもそもこういう考えでやっているイベントですという事が、様々な人に知られていくことが大事だと僕は思います。

ヤナケン : 自転車が身近だからいいんですよ。 子供からおじいさんまで、誰でも乗れるじゃないですか。男女も問わないし、家にもあるじゃないですか。
例えばスキーだったら行かないとできないとか、サーフィンだと海に行かないとできないとか、自転車はもうすぐ横にあるんで誰もが乗っていて、そういうところが浸透しやすいし広がりも持っている。 イベントのアイコンがたまたま自転車で、自分は自転車好き、あなたも自転車好き、で自分ができるのはこういう事、あなたができるのはこういう事というのをできる範囲で持ち寄ったらすごいことができる。だからビジネスとしてのニュアンスは薄いし、そういうネットワークの広がりのキーワードとして自転車がいいんですよ。

サトシ : ビジネスで考えちゃうと、スポンサーさんの事でも一業種一社とか色々あるじゃないですか、しがらみとか。そういうのをこのイベントでは無くしたいなというのはありますね。考え方一緒なんだし、みんな一緒に仲良くこのイベントはやろうよ、みたいな話でいけたらいいかなと思ってます。

― BFFの毎回にトレンドというのはありますか?
ヤナケン : 2005年は、アーバン・バイシクル・カルチャーだってBrendtが言ってたんですよ。それは2005年に初めて東京でやったから。で毎年あるのかなと思って、2006年は?って聞いたら引き続きアーバン・バイシクル・カルチャーだって言ってました(笑)。去年は特になかったんですよね。

ただ言えるのは、2005年で*3)MASHが初めて出て、06年に完成版も出て、07年はそれを受けて*4)FAST FRIDAYとか色々あったので、ストリートでの動きが全体的にあったと思いますが、今年もそういったストリート系のものもありますが、新しいかといったらもうそんなに新しさを感じないです。 逆にロードバイクの、結構いい感じでロードの世界を見せている作品というのが多いんですよ。あとダウンヒルの作品で、目が見えないんだけどダウンヒルやっているおじさんが出てくるのあるんですけど、映像がいい感じで映し出されて、ダウンヒルも楽しそうだなあって。
改めて広がりが、今年の作品は偏りが無く色々見れるラインナップになっているんじゃないかと思うんですけどね。

*3)SFのピストバイクチーム。2005年のBFFで初めてトレーラー版が公開され、世界に衝撃を与える。その後世界のピストブームの火付け役となる。
*4)MASHのクルーでもあるダスティン・クラインが中心となり発案された、毎月第一金曜日(FIRST FRIDAY)に開催されるピストバイク・イベントをまとめた作品。2007年のBFF東京にて世界初公開され話題となる。

― 基本的にBFFで上映される作品自体は、投稿してもらうのですか?
ヤナケン : そうです。Brendtが色んな手を使って探すんですよ。「何か無い?」「何か無い?」って。 当然公募もするんですけど、ただweb上で募集やっても集まるかっていったら、多分そんなに集まらないと思うんですが、それでも何百本か集まるのは彼の努力ですね。毎年毎年、まあよくこれだけ集めるなと感心しますね。それは彼のすごいところじゃないですかね。

世界中で色んな動きがあって作品になって、それがBFFにいち早く流れるんですよ。BFFを発表の場として世界初公開にしようっていうクリエイターさんもすごく増えてます。で、そこでうければ作品にするとか、DVDにするとかの動きがあります、トレンドとして見ることもできると思いますよ。世界のクリエイターさんがどういう意識でいるのかとか。

― 日本では特にテーマを持ってやっているという訳でもないんですか?
サトシ : 僕の中で今年のテーマはあります。
― それは?
サトシ : 僕は自転車メチャメチャ好きですけど、このイベントを自転車好きな人たちだけで終わらせたくないなと思ってます。

国内での音楽の動きだったり、アートの動きだったりっていうのをBFF東京で少しでも見せていきたいと思います。
それと今年は日本の作品を結構出します。 つまり日本ではこういう事が起きてますよ、という事を伝えたいなと。来年は日本ではなく、アジアレベルで考えているんですよ。アジアではこういう音楽、こういう自転車、こういうアートがありますってことを伝えたいですね。来年メッセンジャーの世界大会が東京であるので、そこともうまく結びつきながらやっていきたいなと いうのがあります。

― 今後の展開の話にもつながってしまったんですけど、日本から海外に配信していきたいという事ですよね、日本の文化をつたえていきたいと?
ヤナケン : アジアと言うと、やっぱ東京をみんな見るんですよね、アジアの中心という目線なんで、そこの影響力というのを再確認した上で、じゃあどういったものを、みたいに考えてると思うんですけど。

サトシ : 日本と同様に、台湾だったり香港だったり、アジアのストリート自転車カルチャーていうのが近年かなり盛り上がってきているので、それを伝えたいです。

ヤナケン : 僕も以前考えたんですよ、カルチャーって何だろうって。
アジアって東南アジアや色んな所で自転車乗っているじゃないですか。自転車に乗ってる人口は多いんですけど、カルチャーと呼べるか?というと呼べないってなったときに、要素として何が足りないのか?というと、こっちにあってまだあっちにないものとか、何年か前の日本に無くて、ここ数年で出てきたもの、西洋にあって日本に無かった物は何か?っいうのを考えると、「単なる移動手段としての自転車」を超えて自転車から派生する音楽とか生活や衣食住につながるような物が有るか無いか?っていうことなのかな?みたいな(笑)。

 

サトシ : BFFみたいなイベントをやる力は各国にあると思います。今度はアジアでガンガンやっていかないかみたいな話をしていきたいと思います。どの国でも、僕より若い世代の人たちには面白い事考えてる人はたくさんいますよ。台湾、香港、韓国などなど、どんどんつながっていきたいですね。

ヤナケン : 何か東京のオリジナルを作りたいですよね。スタイルとか。
別に意識はしなくても、自然発生でいいんですけど、日本人は取り込むのはうまいじゃないですか、ああこんなのできるんだなと。それはそれで吸収するのはいいんだけど、それで終わってしまっては、ただまねをして楽しんで終わるということなんで、そうじゃなくてこっちの発信で向こうには無くこっちには有るオリジナルというものを伝えていきたいですね。

サトシ : まあ、今年はBMXで世界チャンピオンが日本人から出たり、メッセンジャーSINOも世界チャンピオンになったり、世界に誇れるチャンピオンが日本にいる訳ですよ。そんな日本を、世界中の人たちは間違いなく気になってるんですよ。 ?僕も、各都市のBFFの中でも、一番魅力のあるイベントしにしたいですね。BFF東京のプロデューサーとして、なんか面白い事やってるなというのを見せたい。

― 今後楽しみですね
サトシ : 今年は、これまでのBFF東京とはちょっと違うかもしれないですよ。今までBFF東京でやらなかったことをやります。
― 将来世界制覇ということで
サトシ : まぁBFF乗っ取ろうかなと(笑)。嘘です。
Brendtはほんとにすごいですよ。こんなイベント思いつくなんて。ありがとうBrendtってかんじです。
― 今年のみどころは?
ヤナケン : 今年は色んなジャンルが楽しめます!去年は作品も無かったっていうのもあってか、ちょっとロードの人が少なかったんですよ。今年はいろんなジャンルの映像作品を上映するので、最初に僕が望んでいたミックスしたような形になると思います。ロードバイクのすごく面白い作品がありますよ。見入っちゃう作品。

サトシ : 僕もあれはおすすめですね。是非観てもらいたいです。

― 最後になりますが、何かメッセージなどはありますか?
サトシ : BFF東京のメインスポンサーであるPUMAさんには本当に感謝です。1回目、2回目、3回目、4回目とこのイベントに毎回毎回つきあってくれて、今後も一緒に色々面白いことに取り組んでいきたいです。

ヤナケン : 以前からPUMAはニューヨークをはじめ、ワールドスポンサーっていうことでやってるんですよ。日本のPUMAだけじゃなく。 PUMAジャパンの僕らの担当者さんも、頻繁に本部のニューヨークと連絡とりあってPUMAの向こうの会社の考え方、コンセンサス に沿って接してくれてるんで、会社の考え方がすごく分かるんです。それでPUMAさんからの一緒にやって行こう的な感じがすごく伝わるから、そういう意味での感謝なんですよ。だからこっちも恩返しはしたい。お金出すからどうこうというのじゃなくて。

― 最後にお二人にとっての自転車の魅力など話してもらえますか?
ヤナケン : まず乗って楽しむものなんで。見てというのは1つの切り口なだけで、乗って楽しんでほしいと。

サトシ : 自転車は、結局自分で漕がなきゃ進めない、何か人生といっしょかなと。やらないと進まない。やって進むと何かいいことあるかも。例えば、自転車でツーリングしました、頑張って遠いところまでいってみました。すると見たことのないすごくいい景色が見える。そういうのが何か人生と一緒かなぁなんて。あと、いろんな自転車に乗って欲しいですね。色んな道を通って欲しいというか。自転車はまさに僕の人生ですね。

ヤナケン : いいねー。

― ありがとうございました!!

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