Reload-Ro_00
R.E.Loadの"R"であるRoland Burns。ニックネームはRo。
17.R.E.Load (Roland)
リロードバッグ
http://www.reloadbags.com/

Interview by messengerbag.jp
取材日:2011年4月26日
1997年、当時メッセンジャーだったRoland(R)とEllie(E)の2人が、自分たちを満足させるリアルなメッセンジャーバッグを求めて、アメリカフィラデルフィアでスタートしたR.E.Load(リロード)。圧倒的にリピーターが多く、今や世界中のメッセンジャーから世界で1番のメッセンジャーバッグと評されるのは、設立から今まで変わらない彼らのバッグに対する熱意や価値観をバッグを背負うことで肌で感じているからなのだろう。
今回は2人にインタビュー、一回目はRoland(ローランド)です。
― まずは自転車に乗り始めたきっかけを聞かせて下さい
いつも自転車と一緒だったかな。
初めて自分用として自転車を手に入れたのは13才の時だった。最初の自転車はHaro Masterのフリースタイルバイク。そいつに数年乗って...それからFUJIのマウンテンバイクにしたんだ。
中学、高校の時ニューヨークの自転車ショップでも働いていたんだよ。
― メッセンジャーバッグを作り始めたのはいつから?またきっかけは?
Reload-Ro_01
僕らは1997年にスタートした。
基本的に、僕も当然メッセンジャーバッグが必要だったけど、それが大嫌いで。。。エリーが縫製出来るって知ってたから、彼女にバッグを改造して欲しいって頼んだんだ。結局、自分達で新しいメッセンジャーバッグを作ろうってなって。その時は会社を設立するとは思っていなかったけどね。それから僕らの作ったメッセンジャーバッグを地元のメッセンジャー達が見て、同じメッセンジャーバッグを作って欲しいって要望が増えてきた。

同時に僕らは各地のいろんな*1)ALLEYCATレースに参加して回ったんだよ。僕らが各地を回ってた時はALLYCATは今ほど大きなモノでは無かったんだ。だからニューヨーク、ボストンやワシントンといった都市に広めて回ることも出来たんだ。

*1)当時は女子のALLEYCATで、スキッドやスタンディング部門でほぼエリーが優勝していたようだ。またローランドもスタンディングキングだった。

― ブランド名であるR.E.Loadの由来は?

R.E.Loadはローランド(Roland)の"R"と、エリー(Ellie)の"E"。R.E.Loadのバッグは荷物(load)を運ぶために作られ、そしてメッセンジャーは常に荷物を満タンに詰め替える(reloading)。そういった意味が名前に込められてるんだよ。

― まだその頃は今ほどメッセンジャーバッグブランドは多くなかったですね?
当時は基本的にtimbuk2とBailey Worksが主流だったね。Boston Blackoutsのメッセンジャー達はよく知られていて、クルー達は皆Bailey Worksのバッグで爆走してたよ。多くのメッセンジャーが今だtimbuk2を使ってるしね。
それと僕らはOrtliebも知ってたよ。

1998年にワシントンD.C.で開かれたCMWCでPac DesignのPatに会った。彼女のバッグは、おそらく僕らが見てきた中でも最も驚くべき職人技術だったね。今現在もそうだよ、ホントに!
その年ボストンでJohn Baileyにも会った、彼も最高だったね。そうだManhattan Portageも結構使ってる人いたかな。もちろんZo bagsもね。Zo bagsとオリジナルDe Martiniのバッグは最も人気のあったバッグだったよ。
今では各都市に少なくとも1つはメッセンジャーバッグカンパニーがあるよね。

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1999年メッセンジャー仲間と。一番右がRO、真中の女性はELLIE。
― 当時のエピソード(苦労話など)はありますか?
実際には...そうだね...ちょうど始めたころかな。僕らがやっていることを見て、そのまんま自分自身で会社を立ち上げた男がいたなぁ。彼の両親はキャンバスの帆を作っている会社を持ってて、彼の母親が結構縫製が上手かったんだ。さらにバッグ作りに必要な素材を大量に入手できるネットワークも持っていた。

ラッキーなことに、、、彼は良くない素材をライニング(内側)に選んでしまったんだよ。ライナーはクリアーカラーのモノだったから、内側の真ん中に織り込んだナイロンが全て見えてたんだ。そのバッグはかっこよかったよ。でも非常に短い間で終わっちゃったね。多分8個ぐらい作って、最初は欲しい人にあげていた。彼は僕らのバッグよりも自分のバッグをメッセンジャーに使って欲しかったみたい。でも彼のバッグのライナーが数週間で破れてしまい...結局やめちゃったんだよね。それから皆が僕らのバッグを買ってくれるようになって。僕らはすごくラッキーだった。彼がライナーの選択を間違えなければ、僕らは今いないかもね。

Reload-Ro_04
― ローランドとエリー、それぞれの特徴や役割を教えて。

そうだね。通常、僕は1週間のうち2日間ぐらいバッグを作ってるかな。僕は全ての経営、管理の仕事やスケジューリングをやっていて、特にマーケティングをこなしているんだ。僕はR.E.Loadで働く人が全てスムーズに事が運ぶようにしている。

仕事場の環境は本当の職場というより、共に働く友人達という感じかな。僕は大層なマネージャーじゃないので、常にスタッフを肩越しに見ている事が出来ない。だから僕の所で働くスタッフ皆が何をするべきか自分自身で考え完結できる事が非常に重要になってくる。
今はとても良いメンバーだよ。人に教えるのは大変なことだけどね。
僕らもより大きな会社を目指そうとしたけど、小さくまとまってやる今のやり方が僕らにはあってるし、このやり方が好きだね。

― バッグを作るにあたって、影響を受けたバッグ又は人物はありますか?

主に僕とエリーがお互いに刺激しあってるかな。

1999年に、僕らはPAC DesignのPatに会ったんだけど、彼女と会ったことはより良いバッグを作るために本当に刺激になったよ。彼女のバッグはとても素晴らしかった。物凄く考えられた構造のものだった。彼女は本当に超越していたよ。機能的なメッセンジャーバッグの新しいカテゴリを創造し、今現在の形を既に作っていたからね。

― ファーストバッグはどんなものでしたか?
僕のファーストバッグは外側に薄い室内装飾用生地を使っていて、U字ロックホルスター用の2本のループをフラップに付けたもの。これはあまりよくなかったかな。それと昔のロゴをシルクスクリーンでフラップにプリントしてた。
― インパクトのある刺繍やカラフルな色使いが当時から斬新でしたよね。
そうだね!僕らはいろいろ試したし、ユーザーに幅広いカラー選択肢を見せて選んでもらってきた。残念ながら、材料がどんどん高騰してしまい、僕らはいくつかカラー選択を減らさなければならなくなってしまった。それでも外側は28色から選べるし、約20色のトリム、10色以上のベルクロなどはまだまだ持っているよ。カラーのコンビネーションがある限り多くの創造力や独創力があるからね。

Reload-Ro_05
― ハンドメイドへの拘りなどありますか?

もちろんあるよ、確実に僕らは全てのバッグを自社で生産したいんだ。仮に工場にバッグを作ってもらっても、それは無理だろう。僕らが求めるクオリティには決してならないからね。

― 他のメッセンジャーバッグブランドとの違いは?

できる限りUSメイドの材料やパーツを使い、全てフィラデルフィアか、エリーの居るサンフランシスコのどちらかで生産している。
全てのバッグを個別に、ユーザーの個性に特化したバッグを作っているから、それが僕らとエンドユーザーとの良い関係を作っていると思う。バッグを最終仕上げする前によくユーザーと親交を深めるようにするしね。主に、そうだねぇ、常に縫製するバッグの改良に日々努めているということかな。ここら辺が僕らと他のビックカンパニーと大きく違うところだと思う。

会社の方針のポイントは、ユーザーがより手に入れやすい、買いやすい製品を作り続けるのか、もしくは小さい規模だけどクオリティを追求した製品を作り続けることなのか、どちらも可能性のある方針だけれども、僕らは小さい会社だからこそできる後者を選択する。誰にも負けない経験値を持っているからね。

実際には自転車業界は同じ視点をもった中小企業がいくつもある。僕らはバッグ縫製とカスタム刺繍の技術を14年間も磨いてきたからね。これからも僕らは先頭に立って引っ張っていってると思ってるよ。

― 10年以上の歳月を経て、アップデートされた部分はありますか?
僕らは常に新しいこと考えるようにしてるし、常に現行のバッグより、より良い作り方を考えているよ。

小企業であることの最大の利点の一つは、僕らが自分達のスケジュールを楽しめる柔軟性なんだ。例えば、the Flight Pack:基本的に自分自身が本当に欲しいと思うバッグを作るとして。プロトタイプのモックを作ったり、それをテストしたり、最終プロダクトを作ったりの工程を1ヶ月で行う。
新しいことを考えた時は、それを実行し、アイデアから実際のプロダクトへ落とし込むプロセスは、生産ラインがいろんなセクションに分かれている大企業に比べて効率的に行える。

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― バッグを制作する上で、メッセンジャーならではの利点はありますか?また、それはどういった部分に反映されているのでしょうか?
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間違いなく利点はあるよね。
1. 僕ら自身がテスト出来る事
2. メッセンジャーコミュニティーの一部であるし、僕らのバッグを早く広めてもらえる。

しかし、そうだね、結局はエンドユーザーが最高の製品を考えてくれるよ。
僕らは自分達のバッグで何が出来るか、どう感じるか知っている。個性豊かなメッセンジャーがいるし、僕らは彼らが使うバッグで彼らを表現したい。

― フィラデルフィアの自転車(メッセンジャー)カルチャーはどうですか?

多くの人がそうは思わないかもしれないが、フィラデルフィアは自転車のために本当に良い街なんだ。

ドライバーは自転車にあまり友好的ではないけれど、一般的に街は小さいし、平たんな地形だし。街から20分程度走った所に、国内最大の公共公園(Fairmount/Wissahickon) もあって、そこが本当に良いところなんだよ。
メッセンジャーカルチャーとしては立場的に現場を離れてから随分経つので表現が難しいけど、自転車イベントは沢山あるし、力強いメッセンジャーアソシエーションがこの街にはあるんだよ。

― 日本の自転車(メッセンジャー)カルチャーはどう思いますか?
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'05のCMWC NYの時に撮影し、PEDAL(DVD)の表紙にもなった写真。これは、ROとELLIEと湊氏の自転車。
僕からみた日本の自転車文化は素晴らしいと思う。
僕は最近専ら実用性で乗っているBilenkyのカーゴバイクを持っていて、主にモノを運ぶために乗っているよ。

日本は沢山の人が日々の移動手段として使っているのがいいよね。カゴやライトが付いてて、お母さんやお祖母さんが子供を後ろのシートに乗せて走っているのを見たよ。
そして道路で多くの自転車が共存しているのを見た。最初は沢山の自転車が歩道を走っているのを見てショックを受けたけど、でもしばらくすると、歩行者と自転車乗りがぶつかることもなくお互いをサッとよける姿をみて、共存できているわけを理解できたよ。日本には7回ぐらい来てるけど、一度も事故を見たことがないよ。日本では多くの自転車乗りが(歩行者や自動車などと)共存できていることが凄く素敵に思う。

― 日本の好きなところは?

まず食べ物が好き。それと建築物... ニューヨーク生まれのビックシティで育ったからね。
日本の交通システムが好きだよ。物凄く混んでるけどね。あと新幹線がスゴイ!
それぞれがスケジュール通りに動いていて、実際にそれをこなすこと。どんな仕事でさえ、仕事に誇りをもっているのが素晴らしい!
そして、みんないい人。ラッキーにも*2)Seiya(Depot)と友達になれたこと。日本に行くときはいつも彼と彼の家族にお世話になっているんだよ。

*2)市川にある有名店「Depot/ディーポ」のオーナー、湊 誠也氏。リロードメンバーとも親交が深く、彼の愛娘の為に作ったミニメッセンジャーバッグを、彼女の名前からとって”アイカバッグ”と命名したのは有名なエピソード。

― 今後の目標、目指す所を教えてください
僕の目指す所は良いバッグを作り続けること。敬意を持ち、自分のクラフトワークをケアーできるスタッフを維持すること。そしてR.E.Loadで働く事でスタッフが自分の夢を実現できるように手助けをしたい。今までもR.E.Loadから巣立っていったスタッフが自身の会社を立ち上げて独立しているんだ。例えばFabric Horse、Randl、Wooly Bisonなど。
そして僕自身ももっともっとバッグ以外にアーティスティックなことをやっていきたい。例えばMerckxポスターを1年前に作ったりしたし、もっとフレーム作りをやりたい、その方がもっともっと多くの人に関われるしね。
― 最後に、日本のR.E.Loadファンにメッセージを!
何年にも渡り日本からR.E.Loadを支えてくれるみんなに本当に感謝しています。
また厳しい時期ですが乗り越えることを祈っています。今年、僕は必ず日本に帰ってきます!
― Thank you Ro !!
Reload-Ro_06
Reload Logo
Roland Burns(36)
好きな食べ物: ホタテ, 芽キャベツ
 好きな色: グリーン
 18年間をニューヨークですごし、その後18年間フィラデルフィアで過ごしている

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― まずは自転車に乗り始めたきっかけを聞かせて下さい
いつも自転車と一緒だったかな。
初めて自分用として自転車を手に入れたのは13才の時だった。最初の自転車はHaro Masterのフリースタイルバイク。そいつに数年乗って...それからFUJIのマウンテンバイクにしたんだ。
中学、高校の時ニューヨークの自転車ショップでも働いていたんだよ。
― メッセンジャーバッグを作り始めたのはいつから?またきっかけは?
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僕らは1997年にスタートした。
基本的に、僕も当然メッセンジャーバッグが必要だったけど、それが大嫌いで。。。エリーが縫製出来るって知ってたから、彼女にバッグを改造して欲しいって頼んだんだ。結局、自分達で新しいメッセンジャーバッグを作ろうってなって。その時は会社を設立するとは思っていなかったけどね。それから僕らの作ったメッセンジャーバッグを地元のメッセンジャー達が見て、同じメッセンジャーバッグを作って欲しいって要望が増えてきた。

同時に僕らは各地のいろんな*1)ALLEYCATレースに参加して回ったんだよ。僕らが各地を回ってた時はALLYCATは今ほど大きなモノでは無かったんだ。だからニューヨーク、ボストンやワシントンといった都市に広めて回ることも出来たんだ。

*1)当時は女子のALLEYCATで、スキッドやスタンディング部門でほぼエリーが優勝していたようだ。またローランドもスタンディングキングだった。

― ブランド名であるR.E.Loadの由来は?

R.E.Loadはローランド(Roland)の"R"と、エリー(Ellie)の"E"。R.E.Loadのバッグは荷物(load)を運ぶために作られ、そしてメッセンジャーは常に荷物を満タンに詰め替える(reloading)。そういった意味が名前に込められてるんだよ。

― まだその頃は今ほどメッセンジャーバッグブランドは多くなかったですね?
当時は基本的にtimbuk2とBailey Worksが主流だったね。Boston Blackoutsのメッセンジャー達はよく知られていて、クルー達は皆Bailey Worksのバッグで爆走してたよ。多くのメッセンジャーが今だtimbuk2を使ってるしね。
それと僕らはOrtliebも知ってたよ。

1998年にワシントンD.C.で開かれたCMWCでPac DesignのPatに会った。彼女のバッグは、おそらく僕らが見てきた中でも最も驚くべき職人技術だったね。今現在もそうだよ、ホントに!
その年ボストンでJohn Baileyにも会った、彼も最高だったね。そうだManhattan Portageも結構使ってる人いたかな。もちろんZo bagsもね。Zo bagsとオリジナルDe Martiniのバッグは最も人気のあったバッグだったよ。
今では各都市に少なくとも1つはメッセンジャーバッグカンパニーがあるよね。

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1999年メッセンジャー仲間と。一番右がRO、真中の女性はELLIE。
― 当時のエピソード(苦労話など)はありますか?
実際には...そうだね...ちょうど始めたころかな。僕らがやっていることを見て、そのまんま自分自身で会社を立ち上げた男がいたなぁ。彼の両親はキャンバスの帆を作っている会社を持ってて、彼の母親が結構縫製が上手かったんだ。さらにバッグ作りに必要な素材を大量に入手できるネットワークも持っていた。

ラッキーなことに、、、彼は良くない素材をライニング(内側)に選んでしまったんだよ。ライナーはクリアーカラーのモノだったから、内側の真ん中に織り込んだナイロンが全て見えてたんだ。そのバッグはかっこよかったよ。でも非常に短い間で終わっちゃったね。多分8個ぐらい作って、最初は欲しい人にあげていた。彼は僕らのバッグよりも自分のバッグをメッセンジャーに使って欲しかったみたい。でも彼のバッグのライナーが数週間で破れてしまい...結局やめちゃったんだよね。それから皆が僕らのバッグを買ってくれるようになって。僕らはすごくラッキーだった。彼がライナーの選択を間違えなければ、僕らは今いないかもね。

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― ローランドとエリー、それぞれの特徴や役割を教えて。

そうだね。通常、僕は1週間のうち2日間ぐらいバッグを作ってるかな。僕は全ての経営、管理の仕事やスケジューリングをやっていて、特にマーケティングをこなしているんだ。僕はR.E.Loadで働く人が全てスムーズに事が運ぶようにしている。

仕事場の環境は本当の職場というより、共に働く友人達という感じかな。僕は大層なマネージャーじゃないので、常にスタッフを肩越しに見ている事が出来ない。だから僕の所で働くスタッフ皆が何をするべきか自分自身で考え完結できる事が非常に重要になってくる。
今はとても良いメンバーだよ。人に教えるのは大変なことだけどね。
僕らもより大きな会社を目指そうとしたけど、小さくまとまってやる今のやり方が僕らにはあってるし、このやり方が好きだね。

― バッグを作るにあたって、影響を受けたバッグ又は人物はありますか?

主に僕とエリーがお互いに刺激しあってるかな。

1999年に、僕らはPAC DesignのPatに会ったんだけど、彼女と会ったことはより良いバッグを作るために本当に刺激になったよ。彼女のバッグはとても素晴らしかった。物凄く考えられた構造のものだった。彼女は本当に超越していたよ。機能的なメッセンジャーバッグの新しいカテゴリを創造し、今現在の形を既に作っていたからね。

― ファーストバッグはどんなものでしたか?
僕のファーストバッグは外側に薄い室内装飾用生地を使っていて、U字ロックホルスター用の2本のループをフラップに付けたもの。これはあまりよくなかったかな。それと昔のロゴをシルクスクリーンでフラップにプリントしてた。
― インパクトのある刺繍やカラフルな色使いが当時から斬新でしたよね。
そうだね!僕らはいろいろ試したし、ユーザーに幅広いカラー選択肢を見せて選んでもらってきた。残念ながら、材料がどんどん高騰してしまい、僕らはいくつかカラー選択を減らさなければならなくなってしまった。それでも外側は28色から選べるし、約20色のトリム、10色以上のベルクロなどはまだまだ持っているよ。カラーのコンビネーションがある限り多くの創造力や独創力があるからね。

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― ハンドメイドへの拘りなどありますか?

もちろんあるよ、確実に僕らは全てのバッグを自社で生産したいんだ。仮に工場にバッグを作ってもらっても、それは無理だろう。僕らが求めるクオリティには決してならないからね。

― 他のメッセンジャーバッグブランドとの違いは?

できる限りUSメイドの材料やパーツを使い、全てフィラデルフィアか、エリーの居るサンフランシスコのどちらかで生産している。
全てのバッグを個別に、ユーザーの個性に特化したバッグを作っているから、それが僕らとエンドユーザーとの良い関係を作っていると思う。バッグを最終仕上げする前によくユーザーと親交を深めるようにするしね。主に、そうだねぇ、常に縫製するバッグの改良に日々努めているということかな。ここら辺が僕らと他のビックカンパニーと大きく違うところだと思う。

会社の方針のポイントは、ユーザーがより手に入れやすい、買いやすい製品を作り続けるのか、もしくは小さい規模だけどクオリティを追求した製品を作り続けることなのか、どちらも可能性のある方針だけれども、僕らは小さい会社だからこそできる後者を選択する。誰にも負けない経験値を持っているからね。

実際には自転車業界は同じ視点をもった中小企業がいくつもある。僕らはバッグ縫製とカスタム刺繍の技術を14年間も磨いてきたからね。これからも僕らは先頭に立って引っ張っていってると思ってるよ。

― 10年以上の歳月を経て、アップデートされた部分はありますか?
僕らは常に新しいこと考えるようにしてるし、常に現行のバッグより、より良い作り方を考えているよ。

小企業であることの最大の利点の一つは、僕らが自分達のスケジュールを楽しめる柔軟性なんだ。例えば、the Flight Pack:基本的に自分自身が本当に欲しいと思うバッグを作るとして。プロトタイプのモックを作ったり、それをテストしたり、最終プロダクトを作ったりの工程を1ヶ月で行う。
新しいことを考えた時は、それを実行し、アイデアから実際のプロダクトへ落とし込むプロセスは、生産ラインがいろんなセクションに分かれている大企業に比べて効率的に行える。

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― バッグを制作する上で、メッセンジャーならではの利点はありますか?また、それはどういった部分に反映されているのでしょうか?
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間違いなく利点はあるよね。
1. 僕ら自身がテスト出来る事
2. メッセンジャーコミュニティーの一部であるし、僕らのバッグを早く広めてもらえる。

しかし、そうだね、結局はエンドユーザーが最高の製品を考えてくれるよ。
僕らは自分達のバッグで何が出来るか、どう感じるか知っている。個性豊かなメッセンジャーがいるし、僕らは彼らが使うバッグで彼らを表現したい。

― フィラデルフィアの自転車(メッセンジャー)カルチャーはどうですか?

多くの人がそうは思わないかもしれないが、フィラデルフィアは自転車のために本当に良い街なんだ。

ドライバーは自転車にあまり友好的ではないけれど、一般的に街は小さいし、平たんな地形だし。街から20分程度走った所に、国内最大の公共公園(Fairmount/Wissahickon) もあって、そこが本当に良いところなんだよ。
メッセンジャーカルチャーとしては立場的に現場を離れてから随分経つので表現が難しいけど、自転車イベントは沢山あるし、力強いメッセンジャーアソシエーションがこの街にはあるんだよ。

― 日本の自転車(メッセンジャー)カルチャーはどう思いますか?
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'05のCMWC NYの時に撮影し、PEDAL(DVD)の表紙にもなった写真。これは、ROとELLIEと湊氏の自転車。
僕からみた日本の自転車文化は素晴らしいと思う。
僕は最近専ら実用性で乗っているBilenkyのカーゴバイクを持っていて、主にモノを運ぶために乗っているよ。

日本は沢山の人が日々の移動手段として使っているのがいいよね。カゴやライトが付いてて、お母さんやお祖母さんが子供を後ろのシートに乗せて走っているのを見たよ。
そして道路で多くの自転車が共存しているのを見た。最初は沢山の自転車が歩道を走っているのを見てショックを受けたけど、でもしばらくすると、歩行者と自転車乗りがぶつかることもなくお互いをサッとよける姿をみて、共存できているわけを理解できたよ。日本には7回ぐらい来てるけど、一度も事故を見たことがないよ。日本では多くの自転車乗りが(歩行者や自動車などと)共存できていることが凄く素敵に思う。

― 日本の好きなところは?

まず食べ物が好き。それと建築物... ニューヨーク生まれのビックシティで育ったからね。
日本の交通システムが好きだよ。物凄く混んでるけどね。あと新幹線がスゴイ!
それぞれがスケジュール通りに動いていて、実際にそれをこなすこと。どんな仕事でさえ、仕事に誇りをもっているのが素晴らしい!
そして、みんないい人。ラッキーにも*2)Seiya(Depot)と友達になれたこと。日本に行くときはいつも彼と彼の家族にお世話になっているんだよ。

*2)市川にある有名店「Depot/ディーポ」のオーナー、湊 誠也氏。リロードメンバーとも親交が深く、彼の愛娘の為に作ったミニメッセンジャーバッグを、彼女の名前からとって”アイカバッグ”と命名したのは有名なエピソード。

― 今後の目標、目指す所を教えてください
僕の目指す所は良いバッグを作り続けること。敬意を持ち、自分のクラフトワークをケアーできるスタッフを維持すること。そしてR.E.Loadで働く事でスタッフが自分の夢を実現できるように手助けをしたい。今までもR.E.Loadから巣立っていったスタッフが自身の会社を立ち上げて独立しているんだ。例えばFabric Horse、Randl、Wooly Bisonなど。
そして僕自身ももっともっとバッグ以外にアーティスティックなことをやっていきたい。例えばMerckxポスターを1年前に作ったりしたし、もっとフレーム作りをやりたい、その方がもっともっと多くの人に関われるしね。
― 最後に、日本のR.E.Loadファンにメッセージを!
何年にも渡り日本からR.E.Loadを支えてくれるみんなに本当に感謝しています。
また厳しい時期ですが乗り越えることを祈っています。今年、僕は必ず日本に帰ってきます!
― Thank you Ro !!
Reload-Ro_06
Roland Burns(36)
好きな食べ物: ホタテ, 芽キャベツ
 好きな色: グリーン
 18年間をニューヨークですごし、その後18年間フィラデルフィアで過ごしている

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