Pac Designs_00
Pat McMillan-McGibbon
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パックデザイン
http://www.pacdesigns.com/

Interview by messengerbag.jp
取材日:2012年1月26日
22年の歳月を得て今もなお進化する老舗メッセンジャーバッグブランドPac Designs。
クリエイターとしての彼女(PAT)の機能への拘りは、現在のメッセンジャーバッグのベースとなるほど多大なる影響を与えてきた。カナダの大自然に囲まれた自宅にて現在もPac Designsは作られている。メッセンジャーバック界を常に1歩リードしてきたPATに話を伺った。
― まずはメッセンジャーを始めたきっかけを聞かせて下さい。
オンタリオ芸術大学に入るため、9つの異なるアートの奨学金を使い1984年にブリティッシュコロンビアの小さな町からトロントに引っ越しました。若いころは完璧なまでに作り変えてしまうリアリズムアートにほとんどの時間を費やしていました。テクニカルパートをマスターした際にはもっと抽象的なトーキングスルーアート(体験や感情を表現するアート)を進めていく予定でしたが、芸術大学は非常に退屈で、特に三角形を描く授業がつらく、何も意味が無いと感じていました。

それから10速ギア付きの自転車を買ってトロントの街を探検し始め、すぐに自転車に乗ることが大好きになりました。とにかく自転車に乗る以外に何もしたくないぐらいに。
ちょっとした楽しみのため、100マイル走行の時間測定をしはじめました。それから大学を辞めて、もっともっと自転車に乗るようになり、そのときはウエイトレスの仕事をしてました。大学を辞めても全然自転車に乗る時間が足りなくて、ある日、ニュースペーパーに掲載されたバイクメッセンジャーの広告を発見!直ちに申し込みました。それが1985年の9月でした。

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当時は、ほとんどのメッセンジャー達がただ自転車に乗るのが大好きな人、または自由に働ける仕事につきたい人で構成されてました。 バイクメッセンジャーが“かっこいい”だとか“流行ってる”みたいなものは皆無でした。当時はすごく素晴らしかったし純粋な時代でした。月給も凄く良くて、トップメッセンジャーは月にかなり稼いでましたよ。
メッセンジャーがかっこいいとシーンを取り上げられるようになった時は非常に困惑しましたね。私達の何がそんなにかっこいいのか? 私達はただ自転車に乗って楽しんでるだけなのに。

メッセンジャーだった日々の思い出は人生最大の友人達を得たこと。今では、2人の子供の母親になっており、田舎に15年住んでいますが、今もメッセンジャーのコミュニティーとつながっています。これからもずっとつながっているんだと確信します。メッセンジャーだった当時は知らなかった新しいメッセンジャーの友達が増えたし、家族のような関係になれる何か絆みたいなものがありますよ。

― バイクメッセンジャーだった頃、どんなバッグを使っていましたか?
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バイクメッセンジャーだった9年間は、自分でめちゃくちゃ加工したバックパックを使ってました。実際には他の誰かのメッセンジャーバッグを使った事がありませんね。初めて作ったバッグはEric Zo bags (SF) を参考にしました。でも作ったバッグが背中でフィットせず、動き回ってしまう部分などメッセンジャーバッグが未完成であると感じました。バックを素早くスイングできないし、荷物の出し入れもしにくい、そういった部分からいわゆるベーシックメッセンジャーバッグを自分で作ってみたものの、ほとんどの部分をオリジナルにカスタムしてしまい、自分自身で使えるようにしました。
多分、私自身がバッグの細かい部分の機能等にうるさかったのね。結局は自分自身で試行錯誤しながらカスタムして自分に合ったメッセンジャーバッグに仕上げていったんです。

― メッセンジャーバッグを作り始めたきっかけは?

1989年の秋、怪我により4ヶ月メッセンジャーの仕事を休んだんです。クリスマスが近かったし、自分自身が仕事を休んでたので友人達に何かクリスマスプレゼントを作ろうと決めてました。家に友人からもらったかなり古い家庭用ミシンがあったので、プレゼント用にメッセンジャーバッグとヒップポーチをいくつか作って渡しました。それから怪我が治って仕事に復帰してから、他のトロントのメッセンジャー達にバックを作ってほしいと頼まれるようになったんです。なので合間に作ってはバッグを売ったりしてました。
1993年にトロントの街に友達と自転車ショップをオープンしました。ミシンもショップに持ってきて、メッセンジャーの仕事やメッセンジャーの自転車を修理してる時以外はバッグを作ってましたね。

1993年メッセンジャーの世界大会(CMWC)がトロントで開催されて、それが私の自転車熱をさらにヒートアップさせました。1994年サンフランシスコの世界大会(CMWC)に参加しバッグのブースを出しました。ちょっとしたロックスターになった気分だったわ(笑)カナダから来た新しいバッグにみんなテンションが上がって、ものすごく反響があったの。メッセンジャーの世界大会が世界にPACを広めてくれました。

― ブランド名とロゴマークの由来を教えてください
最初作っていた時は特にブランドネームもなかったんだけど、みんなが私の作ったバッグを“PAT-PACs”(※PATが作ったバッグ)と呼んでました。そこからネームはそのままで行くことにして、ロゴはカナダの国旗と品質のシンボルとしてゴールドカラーを入れて作りました。
PACのロゴを見るとCとTが重なっててPATとPACという意味になってます。それから元々のPAT-PACが商標登録が出来なかったんです。ハイフン無しで登録しなくてはならなくて。ヨーロッパではすでにロゴ(PAC DESIGNS)を見てPACと呼ばれるようになってたのでそのままPAC DESIGNSにしました。今も当時のメッセンジャー達はPat-Pacsと呼びますね。

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― その頃はメッセンジャーバッグブランドはあまり無かったですよね?
カナダにはまず無かったし、アメリカでもバッグブランドはちょっとしか無かったですね。サンフランシスコに行った友達が買ったZo bagぐらいしか見た事なかったですね。メッセンジャーバッグを売っているお店はまず無かったです。

― 当時のエピソード(苦労話など)はありますか?
実際にスタートした時はかなり資金面で苦労しましたよ。私はどちらかというとビジネスマンというよりアーティスト肌なので、PACを経営していくのは本当に大変でした。今もお金を儲けるよりいいバッグを作るほうを選んでしまうわね。品質を下げたりすることは絶対にしたくないですから。

― バッグを作るにあたって、影響を受けたバッグ又は人物はありますか?
やっぱりサンフランシスコのEric Zoでしょう。本当に自分のやりたい事を続けているよね。

― 当初からあなたの機能的なメッセンジャーバッグには定評がありました。それについては?
そう思っていただけて本当に光栄です。誠実な気持ちを持って、常にユーザーが何を求めているか考え、最善を尽くすようにしています。社会では質より量になっていて、結局ごみを増やすことになってしまう。それが本当に嫌ですね。そして私自身がやはりビジネスマンではなく、アイデアを生み出すクリエイター側の人間なんでしょうね。
― 3レイヤー構造やXストラップなどはどういった発想から生まれたのですか?
いつもメッセンジャーバッグの磨耗する弱い部分をチェックしていました。2レイヤーバッグだと、やはりバッグをヘビーに使っているとインナーに使ってるターポリンがぼろぼろになってしまう。ターポリンは防水性が高いから使ってたんだけど、摩耗や擦り傷なんかには良くなかったりもします。なので3レイヤー構造にして、非常に薄くて、超軽量でしなやかなラバーレイヤーを間に入れることにしました。内側(インナー側)には薄く磨耗や擦り傷に強いPackClothというナイロン素材を使ってます。これも3レイヤー構造だからできるものですね。

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3点止めベルト(The Anti Sway Strap)に関しては1992年ごろに夢を見ました。バッグをどうやったらバッグを背中でゆれないで止めることが出来るか夢の中で考えていました。ある朝、目が覚めたら3点止めベルトを思いついてました。ウエストベルトが付いてるバッグはいくつかあったけど、動くとバッグがゆれてしまってましたね。

“X”ストラップはユーザーから2つショルダーベルトがほしいとのリクエストで実現しました。 意外と簡単にこれはできましたね。 “X”とはエクストラ(XTRA)ストラップから来てます。しっかりバッグを固定したい時に体にフィットする形状になっています。

“D”リングアドジャスターは1994年頃、バイクショップで縫っていた時、ベルトをアジャストするのが非常に下手でベルトが取れなくなってしまい、ウェビングベルトとバックルの間にドライバーを突っ込んで引っ張りました。そしたらそれがスムーズに行って。バックルのサンプルとかを探してDリングが一番フィットすることを発見しました。

基本的に、何か問題があれば、他の方法で上手くいくか、いかないか?というのを考えるようにしています。後半になってからの大きな加工と言えば、PROシリーズのバッグでベルトを左右交換できる仕組みをつくったことかな。この仕組みを考え出すまでにはちょっと時間がかかったけど、しっかりとしたモノになりましたね。

実はPAC-designが開発したメッセンジャーバッグの仕組みはいっぱいあるんです。

― あなたが現存するメッセンジャーバッグブランドに与えた影響は計り知れません。それについては?
そうですねぇ。3点止めベルトとかはいろんなショルダーバッグに採用されていたりしますし、いろんな所で見る機会があります。本当にそれは嬉しいことですね。“D”リングアドジャスターベルトもいろんなバッグで使われてますよね。いくつかのブランドではショルダーベルト左右交換システムも私が考え出したシステムを使ってますね。
多分、私がバッグを作り上げる方法が、アートスクールに居たおかげでちょっと違うんだと思います。
― 他のメッセンジャーバッグブランドとの違いは?
PACのバッグはいくつかの良いアイデアから生まれてきます。また我々は最も耐久性のあるバッグを作ろうとしています。多分一番小さな会社じゃないかなと思います。私とフルタイムスタッフ1名で私の家でバッグを作ってます。今もバックパックを開発しているんだけど、時間が足りなくてなかなか製品化できないで居ます。それとマーケットに存在しない、新しいタイプのバッグを作っている途中です。

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― どういった環境でバッグを生産しているのですか?
現時点では私ともう一人で全てのPACバッグを作っていますが、生地をカットしてくれるパートタイムスタッフが何人かいます。なので生地のカットは割りと短時間で出来ますね。それとボックスパターンを縫うことが出来るミシンを持っています。(ショルダーストラップ等に使うXパターンの箇所)以前は自分たちの手で縫ってましたね。2日間かけてショルダーストラップを肩に当てたり、チェックしていたので、このミシンは最高ですね。
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時折、私の子供がウェビングを切ってくれたり、ベルトにマーキングしてくれたり小さな仕事を手伝ってくれます。全てのバッグが私の家で作られます。子供を一時保育などに預けていなかったから、子供が小さかった時は仕事も家で出来たし、面倒も見れたのでいいですね。今も子供が病気になったりした時も面倒を見ながらも仕事が出来るし、シングルマザーの私としては良い環境です。

今、バッグはオンタリオ州の北に位置するマニトゥーリン島の自宅で作られています。マニトゥーリン島は約100マイルの島でヒューロン湖の上に位置しています。ヒューロンは私にとってとても特別な所です。

― バッグを作る為のバックボーンはあったのですか?

20年経った今でも常にバッグの品質改善に努めています。20年以上前に作ったバッグを見て、その頃の作成方法を見たりするのはいい刺激になりますね。私自身は小学校の家庭科のペンケースを作る授業以外で今まで縫製の勉強をした事がありません。今まで独学で試行錯誤しながらやってきました。だから20年以上前に作ったバッグを見るとこんな方法で作ってたのかと笑ってしまいます。とにかくどう作ったらいいか見えてなくて試行錯誤した様子が伺えますね。そこから私は間違えなくバッグ作りを高速で習得してきましたね。

― トロントの自転車(メッセンジャー)カルチャーはどうですか?
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かなり変わってきましたね。私がメッセンジャーだった頃から残っているのも数人になっちゃいましたね。今、PAC Designsはトロントから7時間車で走った所にいます。私はフリーな時間を街で過ごすより、自然と過ごすようにしています。トロントには自転車のイベントが沢山ありますね。メッセンジャーの友達たちも積極的に関わっています。古い元メッセンジャーの友人達もメッセンジャーイベントを沢山開催しています。トロントははじめてアーリーキャットレースをやったという経緯もあり、まだまだ熱いですね。

― トロントのPACユーザーについて教えてください

トロントのPACユーザーはもちろんメッセンジャーだったり、ツーキニストだったり、他の都市とあまり変わらないですよ。

 

― 日本の自転車(メッセンジャー)カルチャーにどういうイメージを抱いていますか?
あまり日本の自転車文化に関しては知識が少ないんだけど、基本的にはウェブサイトや雑誌でしか見ていません。日本は自転車好きがいっぱいいて、みんな独特で華やかに表現していますよね。
― 今後のPAC DESIGNSの目標、目指す所を教えてください
そうねぇ。今後はバッグ自体を作ると言うよりはもっとデザインだったり、新しいバッグにチャレンジしていける時間を取りたいですね。実際にいろんなアイデアがあって、それを形にしたいんだけど、本当に時間が足りなくてね。
自分自身デザイナーであるから、ビジネスとして拡大していく事はしないと思います。今後どうなるか楽しみね。
― 最後に、日本のPAC DESIGNSユーザーにメッセージを
今もPAC Designsがあるのはユーザーのみんなのおかげです。私がデザインして作ったバッグを買ってくださることを光栄に思います。みなさんのサポートに本当に感謝しています。私はユーザーが何か望むものがあればいつでも聞きますし、日本の自転車乗りが必要なモノがあればPAC Designsはいつでも聞きます。もっともっとPAC Designsを日本に広めていきたいです。私はこの22年間PACをやってきて、メッセンジャーのコミュニティーに知れ渡った事を大変幸せに思います。知られてきているものの、PACはただの小さい会社です。
― Thank you Pat !!

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― まずはメッセンジャーを始めたきっかけを聞かせて下さい。
オンタリオ芸術大学に入るため、9つの異なるアートの奨学金を使い1984年にブリティッシュコロンビアの小さな町からトロントに引っ越しました。若いころは完璧なまでに作り変えてしまうリアリズムアートにほとんどの時間を費やしていました。テクニカルパートをマスターした際にはもっと抽象的なトーキングスルーアート(体験や感情を表現するアート)を進めていく予定でしたが、芸術大学は非常に退屈で、特に三角形を描く授業がつらく、何も意味が無いと感じていました。

それから10速ギア付きの自転車を買ってトロントの街を探検し始め、すぐに自転車に乗ることが大好きになりました。とにかく自転車に乗る以外に何もしたくないぐらいに。
ちょっとした楽しみのため、100マイル走行の時間測定をしはじめました。それから大学を辞めて、もっともっと自転車に乗るようになり、そのときはウエイトレスの仕事をしてました。大学を辞めても全然自転車に乗る時間が足りなくて、ある日、ニュースペーパーに掲載されたバイクメッセンジャーの広告を発見!直ちに申し込みました。それが1985年の9月でした。

Pac Designs_01

当時は、ほとんどのメッセンジャー達がただ自転車に乗るのが大好きな人、または自由に働ける仕事につきたい人で構成されてました。 バイクメッセンジャーが“かっこいい”だとか“流行ってる”みたいなものは皆無でした。当時はすごく素晴らしかったし純粋な時代でした。月給も凄く良くて、トップメッセンジャーは月にかなり稼いでましたよ。
メッセンジャーがかっこいいとシーンを取り上げられるようになった時は非常に困惑しましたね。私達の何がそんなにかっこいいのか? 私達はただ自転車に乗って楽しんでるだけなのに。

メッセンジャーだった日々の思い出は人生最大の友人達を得たこと。今では、2人の子供の母親になっており、田舎に15年住んでいますが、今もメッセンジャーのコミュニティーとつながっています。これからもずっとつながっているんだと確信します。メッセンジャーだった当時は知らなかった新しいメッセンジャーの友達が増えたし、家族のような関係になれる何か絆みたいなものがありますよ。

― バイクメッセンジャーだった頃、どんなバッグを使っていましたか?
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バイクメッセンジャーだった9年間は、自分でめちゃくちゃ加工したバックパックを使ってました。実際には他の誰かのメッセンジャーバッグを使った事がありませんね。初めて作ったバッグはEric Zo bags (SF) を参考にしました。でも作ったバッグが背中でフィットせず、動き回ってしまう部分などメッセンジャーバッグが未完成であると感じました。バックを素早くスイングできないし、荷物の出し入れもしにくい、そういった部分からいわゆるベーシックメッセンジャーバッグを自分で作ってみたものの、ほとんどの部分をオリジナルにカスタムしてしまい、自分自身で使えるようにしました。
多分、私自身がバッグの細かい部分の機能等にうるさかったのね。結局は自分自身で試行錯誤しながらカスタムして自分に合ったメッセンジャーバッグに仕上げていったんです。

― メッセンジャーバッグを作り始めたきっかけは?

1989年の秋、怪我により4ヶ月メッセンジャーの仕事を休んだんです。クリスマスが近かったし、自分自身が仕事を休んでたので友人達に何かクリスマスプレゼントを作ろうと決めてました。家に友人からもらったかなり古い家庭用ミシンがあったので、プレゼント用にメッセンジャーバッグとヒップポーチをいくつか作って渡しました。それから怪我が治って仕事に復帰してから、他のトロントのメッセンジャー達にバックを作ってほしいと頼まれるようになったんです。なので合間に作ってはバッグを売ったりしてました。
1993年にトロントの街に友達と自転車ショップをオープンしました。ミシンもショップに持ってきて、メッセンジャーの仕事やメッセンジャーの自転車を修理してる時以外はバッグを作ってましたね。

1993年メッセンジャーの世界大会(CMWC)がトロントで開催されて、それが私の自転車熱をさらにヒートアップさせました。1994年サンフランシスコの世界大会(CMWC)に参加しバッグのブースを出しました。ちょっとしたロックスターになった気分だったわ(笑)カナダから来た新しいバッグにみんなテンションが上がって、ものすごく反響があったの。メッセンジャーの世界大会が世界にPACを広めてくれました。

― ブランド名とロゴマークの由来を教えてください
最初作っていた時は特にブランドネームもなかったんだけど、みんなが私の作ったバッグを“PAT-PACs”(※PATが作ったバッグ)と呼んでました。そこからネームはそのままで行くことにして、ロゴはカナダの国旗と品質のシンボルとしてゴールドカラーを入れて作りました。
PACのロゴを見るとCとTが重なっててPATとPACという意味になってます。それから元々のPAT-PACが商標登録が出来なかったんです。ハイフン無しで登録しなくてはならなくて。ヨーロッパではすでにロゴ(PAC DESIGNS)を見てPACと呼ばれるようになってたのでそのままPAC DESIGNSにしました。今も当時のメッセンジャー達はPat-Pacsと呼びますね。

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― その頃はメッセンジャーバッグブランドはあまり無かったですよね?
カナダにはまず無かったし、アメリカでもバッグブランドはちょっとしか無かったですね。サンフランシスコに行った友達が買ったZo bagぐらいしか見た事なかったですね。メッセンジャーバッグを売っているお店はまず無かったです。

― 当時のエピソード(苦労話など)はありますか?
実際にスタートした時はかなり資金面で苦労しましたよ。私はどちらかというとビジネスマンというよりアーティスト肌なので、PACを経営していくのは本当に大変でした。今もお金を儲けるよりいいバッグを作るほうを選んでしまうわね。品質を下げたりすることは絶対にしたくないですから。

― バッグを作るにあたって、影響を受けたバッグ又は人物はありますか?
やっぱりサンフランシスコのEric Zoでしょう。本当に自分のやりたい事を続けているよね。

― 当初からあなたの機能的なメッセンジャーバッグには定評がありました。それについては?
そう思っていただけて本当に光栄です。誠実な気持ちを持って、常にユーザーが何を求めているか考え、最善を尽くすようにしています。社会では質より量になっていて、結局ごみを増やすことになってしまう。それが本当に嫌ですね。そして私自身がやはりビジネスマンではなく、アイデアを生み出すクリエイター側の人間なんでしょうね。
― 3レイヤー構造やXストラップなどはどういった発想から生まれたのですか?
いつもメッセンジャーバッグの磨耗する弱い部分をチェックしていました。2レイヤーバッグだと、やはりバッグをヘビーに使っているとインナーに使ってるターポリンがぼろぼろになってしまう。ターポリンは防水性が高いから使ってたんだけど、摩耗や擦り傷なんかには良くなかったりもします。なので3レイヤー構造にして、非常に薄くて、超軽量でしなやかなラバーレイヤーを間に入れることにしました。内側(インナー側)には薄く磨耗や擦り傷に強いPackClothというナイロン素材を使ってます。これも3レイヤー構造だからできるものですね。

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3点止めベルト(The Anti Sway Strap)に関しては1992年ごろに夢を見ました。バッグをどうやったらバッグを背中でゆれないで止めることが出来るか夢の中で考えていました。ある朝、目が覚めたら3点止めベルトを思いついてました。ウエストベルトが付いてるバッグはいくつかあったけど、動くとバッグがゆれてしまってましたね。

“X”ストラップはユーザーから2つショルダーベルトがほしいとのリクエストで実現しました。 意外と簡単にこれはできましたね。 “X”とはエクストラ(XTRA)ストラップから来てます。しっかりバッグを固定したい時に体にフィットする形状になっています。

“D”リングアドジャスターは1994年頃、バイクショップで縫っていた時、ベルトをアジャストするのが非常に下手でベルトが取れなくなってしまい、ウェビングベルトとバックルの間にドライバーを突っ込んで引っ張りました。そしたらそれがスムーズに行って。バックルのサンプルとかを探してDリングが一番フィットすることを発見しました。

基本的に、何か問題があれば、他の方法で上手くいくか、いかないか?というのを考えるようにしています。後半になってからの大きな加工と言えば、PROシリーズのバッグでベルトを左右交換できる仕組みをつくったことかな。この仕組みを考え出すまでにはちょっと時間がかかったけど、しっかりとしたモノになりましたね。

実はPAC-designが開発したメッセンジャーバッグの仕組みはいっぱいあるんです。

― あなたが現存するメッセンジャーバッグブランドに与えた影響は計り知れません。それについては?
そうですねぇ。3点止めベルトとかはいろんなショルダーバッグに採用されていたりしますし、いろんな所で見る機会があります。本当にそれは嬉しいことですね。“D”リングアドジャスターベルトもいろんなバッグで使われてますよね。いくつかのブランドではショルダーベルト左右交換システムも私が考え出したシステムを使ってますね。
多分、私がバッグを作り上げる方法が、アートスクールに居たおかげでちょっと違うんだと思います。
― 他のメッセンジャーバッグブランドとの違いは?
PACのバッグはいくつかの良いアイデアから生まれてきます。また我々は最も耐久性のあるバッグを作ろうとしています。多分一番小さな会社じゃないかなと思います。私とフルタイムスタッフ1名で私の家でバッグを作ってます。今もバックパックを開発しているんだけど、時間が足りなくてなかなか製品化できないで居ます。それとマーケットに存在しない、新しいタイプのバッグを作っている途中です。

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― どういった環境でバッグを生産しているのですか?
現時点では私ともう一人で全てのPACバッグを作っていますが、生地をカットしてくれるパートタイムスタッフが何人かいます。なので生地のカットは割りと短時間で出来ますね。それとボックスパターンを縫うことが出来るミシンを持っています。(ショルダーストラップ等に使うXパターンの箇所)以前は自分たちの手で縫ってましたね。2日間かけてショルダーストラップを肩に当てたり、チェックしていたので、このミシンは最高ですね。
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時折、私の子供がウェビングを切ってくれたり、ベルトにマーキングしてくれたり小さな仕事を手伝ってくれます。全てのバッグが私の家で作られます。子供を一時保育などに預けていなかったから、子供が小さかった時は仕事も家で出来たし、面倒も見れたのでいいですね。今も子供が病気になったりした時も面倒を見ながらも仕事が出来るし、シングルマザーの私としては良い環境です。

今、バッグはオンタリオ州の北に位置するマニトゥーリン島の自宅で作られています。マニトゥーリン島は約100マイルの島でヒューロン湖の上に位置しています。ヒューロンは私にとってとても特別な所です。

― バッグを作る為のバックボーンはあったのですか?

20年経った今でも常にバッグの品質改善に努めています。20年以上前に作ったバッグを見て、その頃の作成方法を見たりするのはいい刺激になりますね。私自身は小学校の家庭科のペンケースを作る授業以外で今まで縫製の勉強をした事がありません。今まで独学で試行錯誤しながらやってきました。だから20年以上前に作ったバッグを見るとこんな方法で作ってたのかと笑ってしまいます。とにかくどう作ったらいいか見えてなくて試行錯誤した様子が伺えますね。そこから私は間違えなくバッグ作りを高速で習得してきましたね。

― トロントの自転車(メッセンジャー)カルチャーはどうですか?
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かなり変わってきましたね。私がメッセンジャーだった頃から残っているのも数人になっちゃいましたね。今、PAC Designsはトロントから7時間車で走った所にいます。私はフリーな時間を街で過ごすより、自然と過ごすようにしています。トロントには自転車のイベントが沢山ありますね。メッセンジャーの友達たちも積極的に関わっています。古い元メッセンジャーの友人達もメッセンジャーイベントを沢山開催しています。トロントははじめてアーリーキャットレースをやったという経緯もあり、まだまだ熱いですね。

― トロントのPACユーザーについて教えてください

トロントのPACユーザーはもちろんメッセンジャーだったり、ツーキニストだったり、他の都市とあまり変わらないですよ。

 

― 日本の自転車(メッセンジャー)カルチャーにどういうイメージを抱いていますか?
あまり日本の自転車文化に関しては知識が少ないんだけど、基本的にはウェブサイトや雑誌でしか見ていません。日本は自転車好きがいっぱいいて、みんな独特で華やかに表現していますよね。
― 今後のPAC DESIGNSの目標、目指す所を教えてください
そうねぇ。今後はバッグ自体を作ると言うよりはもっとデザインだったり、新しいバッグにチャレンジしていける時間を取りたいですね。実際にいろんなアイデアがあって、それを形にしたいんだけど、本当に時間が足りなくてね。
自分自身デザイナーであるから、ビジネスとして拡大していく事はしないと思います。今後どうなるか楽しみね。
― 最後に、日本のPAC DESIGNSユーザーにメッセージを
今もPAC Designsがあるのはユーザーのみんなのおかげです。私がデザインして作ったバッグを買ってくださることを光栄に思います。みなさんのサポートに本当に感謝しています。私はユーザーが何か望むものがあればいつでも聞きますし、日本の自転車乗りが必要なモノがあればPAC Designsはいつでも聞きます。もっともっとPAC Designsを日本に広めていきたいです。私はこの22年間PACをやってきて、メッセンジャーのコミュニティーに知れ渡った事を大変幸せに思います。知られてきているものの、PACはただの小さい会社です。
― Thank you Pat !!

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