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それから10速ギア付きの自転車を買ってトロントの街を探検し始め、すぐに自転車に乗ることが大好きになりました。とにかく自転車に乗る以外に何もしたくないぐらいに。
ちょっとした楽しみのため、100マイル走行の時間測定をしはじめました。それから大学を辞めて、もっともっと自転車に乗るようになり、そのときはウエイトレスの仕事をしてました。大学を辞めても全然自転車に乗る時間が足りなくて、ある日、ニュースペーパーに掲載されたバイクメッセンジャーの広告を発見!直ちに申し込みました。それが1985年の9月でした。
当時は、ほとんどのメッセンジャー達がただ自転車に乗るのが大好きな人、または自由に働ける仕事につきたい人で構成されてました。 バイクメッセンジャーが“かっこいい”だとか“流行ってる”みたいなものは皆無でした。当時はすごく素晴らしかったし純粋な時代でした。月給も凄く良くて、トップメッセンジャーは月にかなり稼いでましたよ。
メッセンジャーがかっこいいとシーンを取り上げられるようになった時は非常に困惑しましたね。私達の何がそんなにかっこいいのか? 私達はただ自転車に乗って楽しんでるだけなのに。
メッセンジャーだった日々の思い出は人生最大の友人達を得たこと。今では、2人の子供の母親になっており、田舎に15年住んでいますが、今もメッセンジャーのコミュニティーとつながっています。これからもずっとつながっているんだと確信します。メッセンジャーだった当時は知らなかった新しいメッセンジャーの友達が増えたし、家族のような関係になれる何か絆みたいなものがありますよ。
― メッセンジャーバッグを作り始めたきっかけは?
1989年の秋、怪我により4ヶ月メッセンジャーの仕事を休んだんです。クリスマスが近かったし、自分自身が仕事を休んでたので友人達に何かクリスマスプレゼントを作ろうと決めてました。家に友人からもらったかなり古い家庭用ミシンがあったので、プレゼント用にメッセンジャーバッグとヒップポーチをいくつか作って渡しました。それから怪我が治って仕事に復帰してから、他のトロントのメッセンジャー達にバックを作ってほしいと頼まれるようになったんです。なので合間に作ってはバッグを売ったりしてました。
1993年にトロントの街に友達と自転車ショップをオープンしました。ミシンもショップに持ってきて、メッセンジャーの仕事やメッセンジャーの自転車を修理してる時以外はバッグを作ってましたね。
1993年メッセンジャーの世界大会(CMWC)がトロントで開催されて、それが私の自転車熱をさらにヒートアップさせました。1994年サンフランシスコの世界大会(CMWC)に参加しバッグのブースを出しました。ちょっとしたロックスターになった気分だったわ(笑)カナダから来た新しいバッグにみんなテンションが上がって、ものすごく反響があったの。メッセンジャーの世界大会が世界にPACを広めてくれました。
3点止めベルト(The Anti Sway Strap)に関しては1992年ごろに夢を見ました。バッグをどうやったらバッグを背中でゆれないで止めることが出来るか夢の中で考えていました。ある朝、目が覚めたら3点止めベルトを思いついてました。ウエストベルトが付いてるバッグはいくつかあったけど、動くとバッグがゆれてしまってましたね。
“X”ストラップはユーザーから2つショルダーベルトがほしいとのリクエストで実現しました。 意外と簡単にこれはできましたね。 “X”とはエクストラ(XTRA)ストラップから来てます。しっかりバッグを固定したい時に体にフィットする形状になっています。
“D”リングアドジャスターは1994年頃、バイクショップで縫っていた時、ベルトをアジャストするのが非常に下手でベルトが取れなくなってしまい、ウェビングベルトとバックルの間にドライバーを突っ込んで引っ張りました。そしたらそれがスムーズに行って。バックルのサンプルとかを探してDリングが一番フィットすることを発見しました。
基本的に、何か問題があれば、他の方法で上手くいくか、いかないか?というのを考えるようにしています。後半になってからの大きな加工と言えば、PROシリーズのバッグでベルトを左右交換できる仕組みをつくったことかな。この仕組みを考え出すまでにはちょっと時間がかかったけど、しっかりとしたモノになりましたね。
実はPAC-designが開発したメッセンジャーバッグの仕組みはいっぱいあるんです。
時折、私の子供がウェビングを切ってくれたり、ベルトにマーキングしてくれたり小さな仕事を手伝ってくれます。全てのバッグが私の家で作られます。子供を一時保育などに預けていなかったから、子供が小さかった時は仕事も家で出来たし、面倒も見れたのでいいですね。今も子供が病気になったりした時も面倒を見ながらも仕事が出来るし、シングルマザーの私としては良い環境です。
今、バッグはオンタリオ州の北に位置するマニトゥーリン島の自宅で作られています。マニトゥーリン島は約100マイルの島でヒューロン湖の上に位置しています。ヒューロンは私にとってとても特別な所です。
― バッグを作る為のバックボーンはあったのですか?
20年経った今でも常にバッグの品質改善に努めています。20年以上前に作ったバッグを見て、その頃の作成方法を見たりするのはいい刺激になりますね。私自身は小学校の家庭科のペンケースを作る授業以外で今まで縫製の勉強をした事がありません。今まで独学で試行錯誤しながらやってきました。だから20年以上前に作ったバッグを見るとこんな方法で作ってたのかと笑ってしまいます。とにかくどう作ったらいいか見えてなくて試行錯誤した様子が伺えますね。そこから私は間違えなくバッグ作りを高速で習得してきましたね。
― トロントのPACユーザーについて教えてください
トロントのPACユーザーはもちろんメッセンジャーだったり、ツーキニストだったり、他の都市とあまり変わらないですよ。
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19.Pac Designs
パックデザイン http://www.pacdesigns.com/
Interview by messengerbag.jp 取材日:2012年1月26日
22年の歳月を得て今もなお進化する老舗メッセンジャーバッグブランドPac Designs。
クリエイターとしての彼女(PAT)の機能への拘りは、現在のメッセンジャーバッグのベースとなるほど多大なる影響を与えてきた。カナダの大自然に囲まれた自宅にて現在もPac Designsは作られている。メッセンジャーバック界を常に1歩リードしてきたPATに話を伺った。
それから10速ギア付きの自転車を買ってトロントの街を探検し始め、すぐに自転車に乗ることが大好きになりました。とにかく自転車に乗る以外に何もしたくないぐらいに。
ちょっとした楽しみのため、100マイル走行の時間測定をしはじめました。それから大学を辞めて、もっともっと自転車に乗るようになり、そのときはウエイトレスの仕事をしてました。大学を辞めても全然自転車に乗る時間が足りなくて、ある日、ニュースペーパーに掲載されたバイクメッセンジャーの広告を発見!直ちに申し込みました。それが1985年の9月でした。
当時は、ほとんどのメッセンジャー達がただ自転車に乗るのが大好きな人、または自由に働ける仕事につきたい人で構成されてました。 バイクメッセンジャーが“かっこいい”だとか“流行ってる”みたいなものは皆無でした。当時はすごく素晴らしかったし純粋な時代でした。月給も凄く良くて、トップメッセンジャーは月にかなり稼いでましたよ。
メッセンジャーがかっこいいとシーンを取り上げられるようになった時は非常に困惑しましたね。私達の何がそんなにかっこいいのか? 私達はただ自転車に乗って楽しんでるだけなのに。
メッセンジャーだった日々の思い出は人生最大の友人達を得たこと。今では、2人の子供の母親になっており、田舎に15年住んでいますが、今もメッセンジャーのコミュニティーとつながっています。これからもずっとつながっているんだと確信します。メッセンジャーだった当時は知らなかった新しいメッセンジャーの友達が増えたし、家族のような関係になれる何か絆みたいなものがありますよ。
― メッセンジャーバッグを作り始めたきっかけは?
1989年の秋、怪我により4ヶ月メッセンジャーの仕事を休んだんです。クリスマスが近かったし、自分自身が仕事を休んでたので友人達に何かクリスマスプレゼントを作ろうと決めてました。家に友人からもらったかなり古い家庭用ミシンがあったので、プレゼント用にメッセンジャーバッグとヒップポーチをいくつか作って渡しました。それから怪我が治って仕事に復帰してから、他のトロントのメッセンジャー達にバックを作ってほしいと頼まれるようになったんです。なので合間に作ってはバッグを売ったりしてました。
1993年にトロントの街に友達と自転車ショップをオープンしました。ミシンもショップに持ってきて、メッセンジャーの仕事やメッセンジャーの自転車を修理してる時以外はバッグを作ってましたね。
1993年メッセンジャーの世界大会(CMWC)がトロントで開催されて、それが私の自転車熱をさらにヒートアップさせました。1994年サンフランシスコの世界大会(CMWC)に参加しバッグのブースを出しました。ちょっとしたロックスターになった気分だったわ(笑)カナダから来た新しいバッグにみんなテンションが上がって、ものすごく反響があったの。メッセンジャーの世界大会が世界にPACを広めてくれました。
3点止めベルト(The Anti Sway Strap)に関しては1992年ごろに夢を見ました。バッグをどうやったらバッグを背中でゆれないで止めることが出来るか夢の中で考えていました。ある朝、目が覚めたら3点止めベルトを思いついてました。ウエストベルトが付いてるバッグはいくつかあったけど、動くとバッグがゆれてしまってましたね。
“X”ストラップはユーザーから2つショルダーベルトがほしいとのリクエストで実現しました。 意外と簡単にこれはできましたね。 “X”とはエクストラ(XTRA)ストラップから来てます。しっかりバッグを固定したい時に体にフィットする形状になっています。
“D”リングアドジャスターは1994年頃、バイクショップで縫っていた時、ベルトをアジャストするのが非常に下手でベルトが取れなくなってしまい、ウェビングベルトとバックルの間にドライバーを突っ込んで引っ張りました。そしたらそれがスムーズに行って。バックルのサンプルとかを探してDリングが一番フィットすることを発見しました。
基本的に、何か問題があれば、他の方法で上手くいくか、いかないか?というのを考えるようにしています。後半になってからの大きな加工と言えば、PROシリーズのバッグでベルトを左右交換できる仕組みをつくったことかな。この仕組みを考え出すまでにはちょっと時間がかかったけど、しっかりとしたモノになりましたね。
実はPAC-designが開発したメッセンジャーバッグの仕組みはいっぱいあるんです。
時折、私の子供がウェビングを切ってくれたり、ベルトにマーキングしてくれたり小さな仕事を手伝ってくれます。全てのバッグが私の家で作られます。子供を一時保育などに預けていなかったから、子供が小さかった時は仕事も家で出来たし、面倒も見れたのでいいですね。今も子供が病気になったりした時も面倒を見ながらも仕事が出来るし、シングルマザーの私としては良い環境です。
今、バッグはオンタリオ州の北に位置するマニトゥーリン島の自宅で作られています。マニトゥーリン島は約100マイルの島でヒューロン湖の上に位置しています。ヒューロンは私にとってとても特別な所です。
― バッグを作る為のバックボーンはあったのですか?
20年経った今でも常にバッグの品質改善に努めています。20年以上前に作ったバッグを見て、その頃の作成方法を見たりするのはいい刺激になりますね。私自身は小学校の家庭科のペンケースを作る授業以外で今まで縫製の勉強をした事がありません。今まで独学で試行錯誤しながらやってきました。だから20年以上前に作ったバッグを見るとこんな方法で作ってたのかと笑ってしまいます。とにかくどう作ったらいいか見えてなくて試行錯誤した様子が伺えますね。そこから私は間違えなくバッグ作りを高速で習得してきましたね。
― トロントのPACユーザーについて教えてください
トロントのPACユーザーはもちろんメッセンジャーだったり、ツーキニストだったり、他の都市とあまり変わらないですよ。
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